ゆずれないものの交渉 その7

今日のまとめ
イラク戦争には「開戦するべき」「開戦するべきでない」の両方に十分な大義名分がある。
どっちにしても大量の死者が出る。


空想の兵器
捕鯨問題は前述のように現代の倫理を適用すれば「どうするべきか」の答えがはっきりと出る。もちろんその倫理自体が成文化されたものでも公式化されたものでもないから、「俺たちの倫理ではその答えは受け入れられない」と反発することは可能だ。しかし倫理の恐ろしい面ではあるが「倫理を受け入れられない」と言った人間が社会に受け入れてもらえなくなる。村八分を恐れるならば、その答えを受け入れなければならないのだ。
しかしイラク問題はそうではない。「イラクに攻め込むべき」という答えも「イラクに攻め込むべきではない」という答えもどちらともが大きく倫理から外れていないからだ。どちらの答えも正当性を持っているが、選べるのはどちらか一つだけだ*1
ここで言うイラク問題は「フセイン政権を倒すために第二次湾岸戦争イラク戦争)を行うべきか」という問題のことだ。A「開戦したい」と考える米政府に対して「開戦させたくない」と考える反対派との交渉だ。第一次湾岸戦争は行うべきだっただろうし、現在のイラクへは治安確立のために大量派兵を行うべきだろう。
当時のイラクサダム・フセイン大統領によって独裁政治が行われ、国内での人権侵害はもとより近隣諸国に軍事的圧力をもたらしていた。第一次湾岸戦争で敗北したイラクに大幅な軍事力の制限が課せられたため近隣諸国への軍事的圧力は激減したが、それは多国籍軍によるイラク空域監視などの不断の努力によって支えられているものだった。フセイン政権が存続する限り、多国籍軍は多大なコストを費やしてイラク軍の監視を続けなければならなかったのだ。
さらに大量破壊兵器の問題がある。これは実際には存在しなかったのだが、こういった戦略兵器は実在が問題なのではなく「存在しないと証明されていない」ことが問題なのだ。イラクは国連の査察を妨害し、それは大量破壊兵器存在の状況証拠となった。
ここで開戦理由は二つ出来上がることになる。「国内での人権侵害をやめさせなければならない」と「戦争をさせないために先に叩きのめしておこう」である。この両方が戦争を始めるのに十分な理由ではある。そしてその程度の理由で戦争をしていたらあっというまに人類が滅亡するだろう。


敵の敵の敵
基本的には内政干渉のための戦争は起こしてはならないことになっている。捕鯨問題のようにある国で普通に実施されている政策が、別のある国の国民からすれば「言語道断で生理的嫌悪をもよおす政策」となることもある。捕鯨問題は海洋資源という国境をまたぐ資源に関するものだったから国際問題たりえたが、国内での政策に関しては「好きでやってるんだから放っておいてくれ」と言ってかまわないのだ。
人権侵害は内政問題だが、他国が介入していいことになっている。なぜかと言うと、人権侵害を行う側の人間は「好きでやっている」ことだが、迫害されている人間は「好きで迫害されている」わけではないからだ*2。そのため、外国政府は「その国の虐げられている人々」を代弁して当該国に人権侵害の撤廃を要求することができるのだ。
もちろんこういった内政干渉を正当化する論理などはただの屁理屈でしかない。本音は「人権侵害というキモチワルイことはなんとしてもやめさせたい」や「俺は倫理に従って差別を実行していないのに、お前たちだけ好き勝手に差別ができるのは不公平だ」といったC、つまりは生理的嫌悪である。そして生理的嫌悪を旗頭にしている限りは自分の要求を他者が受け入れてくれないから、Bという「納得してもらえる理由」をでっちあげているだけだ。
こうした本音を隠して屁理屈で他者の行動を制限する行為はなんとなく不道徳に思えるだろう。しかし今の人類にとってはこれ以外に妥当な解決策はない。なぜなら今の科学では他人の(そして自分の)本心を証明する術を持たないからだ。本心が分からない以上、他者を評価するには当人の行動でもってする以外にない。この場合は当人が語った理屈という言葉だ。その言葉に正当性があれば受け入れればいいし、なければ棄却すればいい。
本心の部分に共感していても言葉に正当性がなければ受け入れてはならない。逆に本心の部分に共感していなくても言葉に正当性があれば受け入れなければならない。どちらも精神的に大きな苦痛を要求される。そのためにこの倫理はまだそれほど一般的なものとして社会に受け入れられてはいない。しかし人々がむやみに殺しあわずにすむ社会を作り上げるためにはどうしても必要な倫理として、今後一般的になっていくだろう。
倫理がはっきりしていないために第二次イラク戦争直前に奇妙な現象が発生した。開戦の大義名分の一つが「イラク政府の人権侵害」であるにもかかわらず、いわゆる人権派が戦争反対を主張したのだ。開戦賛成者は「人権などどうでもいい」とまでは思っていない人々だろうが、人権派ほどは人権を重視していない人々だった。


数の暴力
予防戦争は正義であり悪である。第一次世界大戦は予防戦争が連鎖的に暴発したために世界大戦となり、第二次世界大戦は予防戦争をしなかったために戦争が拡大した。その後の米ソは予防戦争の代わりに核による相互確証破壊戦略をとり、第三次世界大戦の勃発を未然に封じ込めた。
本当に戦争をするつもりの国家に対しては予防戦争は非常に有効な対策となる。予防戦争は一般的に相手国の軍事力の撃破を目的とするために民間人に被害がでにくいことも事実だ。第一次世界大戦では戦死者は膨大であったが、民間人の被害はそれに比べると少ないものだった*3第二次世界大戦、特に独ソ戦線においては両国は互いに相手国を侵略するために戦争をしたために膨大な民間人が殺された。もしも英米仏が独ソ両国に予防戦争をしかけていたら民間人の犠牲ははるかに(桁が2つほど、いや3つかもしれない)少ないものになっただろう。日米戦線は日本に対して予防戦争をしかけようとしたアメリカに日本が予防戦争をしかけた構図だったので民間人の被害は小さかった*4
死者の数を重要視するならば予防戦争の大義名分は明らかに正当性がある。そして人権救済のための戦争はさらに意義があるものになるだろう。社会主義国家による国民の虐殺数は約2億人と言われている。第三世界の内戦による難民の死者数も膨大だろう。しかしこれらは結果論に過ぎない。予防戦争・人権救済戦争がエスカレートしてもっと多くの人々が死んでいたかもしれない。戦争をしなくても人々が殺されることはなかったかもしれない。ただひとつはっきりしていることは、戦争をすれば必ず人が死ぬことだけだ。
「確実な死者」を重要視すれば予防戦争も人権救済戦争も許されざる罪悪となるだろう。他人が殺人を犯すことはキモチワルイのだが、自分の手で人を殺すことに比べればまだましだ。「世界中の人が『自分は人を殺さない』ことを実践すれば世界から殺人という罪がなくなる」という理想を追い求めることもできる。理想は青臭いかもしれないが、それでもよりよい世界を作り出すための原動力であることも忘れてはならない。

*1:本当は中間的な解決方法を模索するのがベストなのだが、それを言ってしまうとおしまいになるので、選択肢は二つしかないという仮定で話を進めている。

*2:本当のところは好きで「他人から見ると人権侵害されている状況に身を置き続ける」ことをしている人もいる。なぜそんな状況に甘んじるかと言うと、それ以外の生き方を知らないために「自由だけど自己責任を要求される生き方」というものが怖いからだと思う。今の日本だってかなり自由な社会ではあるが、自由を制限される部分も多い。その制限を当然と思う人にとっては制限される側であっても強い不満を持ったりはしないだろう。そしてきっと百年後の人々から「なぜあんな自由のない社会で幸せだったの?」と不思議がられることになるのだ。

*3:戦闘員900万人、非戦闘員1000万人と言われている。戦争被害者の統計は極度に混乱した状況に加えてプロパガンダがあるためにどの数字も信憑性が低い。ここで挙げている数字はほとんど根拠のないものとして見てほしい。第一次世界大戦での非戦闘員死者は戦闘員よりも少し多いのだが、非戦闘員のどこまでが民間人なのかよく分からない。軍人の一部も非戦闘員に含まれているのではないかと思う。第二次世界大戦では軍人2500万人、民間人3500万人くらいらしい。あまり割合が違わないのではないかと感じるかもしれないが、ソ連軍人戦死者1300万人のせいであろう。ソ連はとかく兵員の命を軽視した作戦をたてることが多いことに加え、軍隊内部での処刑が膨大だった。まともな戦闘での戦死者はこの数字の半分以下だろう。だいたい戦争に負けたドイツの戦死者が350万人(独ソ戦以外も含む)なのに勝った側がその4倍も戦死者が出るのはおかしすぎる。

*4:都市空襲による死者は多かったが、それはB−29という超兵器が出現したからだと見るのが正解だろう。都市空襲をしたのがB−29でなければ被害面積は同じでも死者の数は10分の1以下だっただろう。東京大空襲のようなどこに逃げ場があるのかと思うほどの空襲でも被災者に対する死者の割合は8%でしかない。そして少し規模が小さくなるだけでさらに死者の割合は減る(大阪空襲で1%)。意外と避難は間に合うものなのだ。逆に原爆では一瞬で丸焼けになるために死者の割合が高くなる(広島で35万人の市内人口に対して約10万人)。沖縄では島という特性上、民間人の避難先がほとんどなく約10万人(臨時の軍属を含む。民間人の人口は約50万人)が死亡した。そのような大きな被害であっても独ソ戦と比べると桁が2つ違う。独ソ戦の民間人死者が約2000万人で日本の民間人死者は約30万人だ(沖縄戦での軍属死者を含めると35万人くらいか?)。