病院システム近代化計画 その4

何度も書いているがこれは経済学です。いや、すでに経営学の世界に入りつつあるのかも。僕は経済学部経営学科を卒業してるからどちらも専門家ですが、経済学と経営学をどこで切り分ければいいかよく分かりません。しかしこの話が医学ではないことはほぼ確かです。昨日までは「医者という職業」を経済学的に見てきました。今日からは「医療システム」を経営学的に見ていきます。でもきっといろいろと切り分けが曖昧になります。そのへんはご容赦を。


需要側による分類
需要と供給はタマゴとニワトリの関係に似ている。物の流れを見ると供給が起きて需要が満たされるのだが、気持ちの流れは需要が起きて供給が動く形になる。一人の医者は患者の需要を変化させることは難しいが、医療産業というマクロな枠組みで見るならば、我々は需要と供給のどちらもに働きかけることができる。しかし両方を同時に考えることは議論の拡散を招く。そこで最初は需要を所与のものとして固定し、供給側の改革案を提示することにしよう。
需要を所与のものとして固定するためには、現時点での需要を正確に知らなければならない。マーケティングの最初の段階だ。医療に対する需要は大雑把に分けると以下のようになる。
1.不安な症状が出てるが、これを治療するべきかどうか知りたい
2.ほうっておいても治るが苦痛を減らすために治療したい
3.ほうっておくと回復不可能になる(最悪は死ぬ)ので治療したい
4.短期間(数時間から数日程度)で回復不可能になるので治療したい
5.死ぬまでの時間を延ばしたり、苦痛をやわらげたい

医療産業はこれらの需要すべてを満たすべきだが、個々の病院(医者)はこれらの需要すべてに対応しなければならないわけではない。各自の得意とする分野にリソースを集中することで生産性を上げることが王道だ。
しかしマーケティングの基本とも言うべきリソースの集中を企図するに当たって医療の特殊性が邪魔をする。たとえ2にリソースを集中するつもりでも、4の患者が目の前に現れたときには応急処置を施さないわけに行かないからだ。また2345の機能を供給するに当たっては1の機能を持たなければならない。
「もしかしたら重大な病気が隠されているかもしれない」この心配は単なる杞憂ではない。歯医者が心臓疾患を発見することもある*1。なんでもない病気だと思って来院したらそのまま入院させられたなどは普通に聞く話だ。そして当然それによって救われた命も多数存在する。
もっともこれをもって医者が超人的に優れていると評価するのはあさはかだ。素人判断では分からないことをプロは見抜くことができるのは魔法でもなんでもなく普通のことだ。自動車工場の整備士が少しの問診で自動車の修理するべき場所を特定しているようなものだ*2
整備士が自動車をばらしてみないと問題箇所が見つけられなかったり、結局見過ごして事故につながったりすることと同じように、医者だって病気をすべて発見できるわけではない。ほとんど見過ごしていないのかもしれないし、見過ごしている数のほうが多いかもしれない。今の医学では絶対に見過ごさないということは不可能であることは確かだ。
「当たるも八卦当たらぬも八卦ならば、1の機能なんて意味ないじゃん」と言いたくなるが、そうもいかない。昨日に書いたように近代では命は代替不可能なほど高価なので、不作為によるリスクを負わせるわけにはいかないのだ。そこで現時点での妥協点が「見つけられるはずの病気は見つけましょう」「見つけられるはずの病気を見つけられなかったら責任者が責任を負いましょう」となる。医療事業者は1の機能を行える人間、「見つけられるはずの病気を見つける能力」を持っているはずの人間、つまり医師免許を持った医者を配置しなければならなくなる。ちなみに自動車整備工場も生命に関るトラブルを回避するために国家試験を合格した整備士を配置しなければならない。
病院に医者を配置しなければならないのは当たり前のことではない。医療コストを引き下げるためにはできるだけ医者という高コストの人材を使わずに済ませたいのだ。可能ならばゼロにしたい。しかし上述したように医者は絶対に必要である。そして2345のどの機能にも1が付随されていなければならない以上、どの医療機関にも医者は必要である。


供給側からの分類
別の方向からも分類を行ってみよう。
一般的に企業の商品と売上の関係は「2割の商品が8割の売上を占める」と言われている。売れ筋商品ばかりが売れて、売れ筋でない商品はたくさんあるがたいした売上にはならないのだ。もちろんこれは産業や企業によって割合は変動するが、それでもだいたいの傾向は大きく変わらない。もちろん医療においても当てはまる。病気の種類は多いが、患者の大部分は少数の種類の病気にかかっており、珍しい病気は多数あっても患者の数は少ない。
普通の営利企業だと、より大きな利益を目指して売れ筋でない商品を廃番にして、売れ筋商品の生産だけに企業リソースを集中することを考える。しかし医療ではそれを行うことはできない。「あなたの病気は1万人に1人しかかからないから、病気の治療方法は用意されていません」と言うわけにはいかない*3
ただし各医療機関は病気の種類で患者を切り捨てることが許容される。専門外の病気は専門の医者を紹介してよしとできるのだ。問題は専門内の珍しい病気だ。しかも難易度は低いが手間がかかる病気が困る。難易度が高ければ別の医者に押し付ける口実ができるし、手間がかからないのであればコストはかからない。結局のところ2割8割の法則*4から逃れることはできない。
A.一般的で手間のかからない病気
B.一般的で手間のかかる病気
C.珍しくて難易度が低く手間のかからない病気
D.珍しくて難易度が低く手間のかかる病気
E.珍しくて難易度が高い病気

一般的な病気は医者にとっては難易度は低い(治療方法を知っている)ものしか存在しない。難易度が高い(治療方法を知らない)病気は手間がかかろうがかかるまいが治しようがないので分類をまとめている。
こうして需要の種類を分類したことで患者をA2とかE4といった形で分類できるようになった。この分類の他にもちろん内科や外科といった分類も行われる。内科にとってはE3の患者が外科にとってはA2の患者として分類される場合もあるだろう*5。要は各病院にとっての患者を分類することが、各病院の生産性を上げることにつながるのだ。


分類して統治せよ
このように患者を分類、つまり需要を確認したところで効率化の方向性が見えてきた。
ここでは2および3の機能を提供する病院にしぼってシステムを研究していく。
この病院にとって一番扱いやすい患者はA2だ。しかしD4の患者も訪れる可能性がある。患者自身がA2のつもりで来院したら、1で医者が診たところD4だと判明する場合もあるだろう。E4の患者は救急車にでも乗せて別の病院に行ってもらうしかない。E2やE3は紹介状を書いてお帰りいただくしかない。
問題はBとDの患者だ。これを別の医療機関に紹介するかどうかは医者の良心に委ねられる。つまりノーブレス・オブリージュのレベルで判断しなければならない。後日に言及する予定だが、僕はノーブレス・オブリージュを縮小することを提言しているのでこれらの患者を受け入れる必要はないと考えている。しかし改革を漸進的なものとするからには、当面はこれらの患者を面倒くさがりながらも当該病院は受け入れざるを得ないだろう。
4の患者は数日以内に3ないしは5の患者に変化する。残念ながら死亡する場合もありうるが、少なくとも4ではなくなる。数日後も4の状態である患者は、この病院にとってはEに分類される患者となる。よほどぎりぎりの状態でない限り、すみやかに専門病院に転院させることが当の患者にとってもよいことだろう。
いったん診療が始まれば2と3を分類することは意味を成さなくなる。どちらにせよ治療を行えば回復するのだ。なので当面はわざわざA2、B3と書かずにA、Bと書くことにする。


ここにおいてこの病院に来る患者はABCDおよび若干の4だけになりました。
明日からはこの病院で実際にどのように分業を行うかと本題の待ち時間解消案を書いていきます。
4,5回の予定とか言ってましたが、全然途中です。あと5回は続くと思います。

*1:心臓につながっている神経が奥歯の裏の辺りを通っており、心臓の痛みを奥歯の痛みであると脳が誤解してしまうことがある。

*2:僕はホットメルト系接着剤の現場でのトラブル解決の腕前は多分日本で十本の指に入る。対象がニッチ過ぎてたいした自慢にはならないが。

*3:1億人に1人の病気だと治療法法がなくてもしかたがないと思う。どこで線を引くかは医学とコストで判断するしかない。しかし切り捨てられた人はきっと怒る。

*4:この法則にも名前がついていたはずだが覚えていない。博覧強記の人に聞いてください。

*5:腕の骨が痛いという症状の患者を骨肉腫かと心配したら腕の骨にヒビが入っていただけとか。その内科医がガンの治療法方を知っているのならばEではなくDに分類できる。