病院システム近代化計画 その5

病院の待ち時間を減らすために」で僕は医者をトリアージ医師・診療医師・電子カルテ医師・インフォームドコンセント医師に分業させることを提言した。これらの医師がABCD4の5種類の患者にどのように対処していくかの業務フローを見たいきたいと思う。
ちなみにこの分業の中で電子カルテ医師はいらないかもしれない。僕自身は電子カルテ医師がいたほうが効率はいいのではないかと思っているが、やってみないとわからない。逆に二度手間が効率を悪化させるかもしれない。また、この分業案の中では電子カルテ医師の設置は本質的な問題ではない。なので、提案を完全に引っ込めるわけではないのだが、議論の拡散を防ぐために電子カルテ医師は当面封印しようと思う。


トリアージ医師
最初に患者に接するのはトリアージ医師であり、彼が最初に患者を分類しなければならない。彼が一番重要視しなければならないのは患者が4であるかどうかだ。4の患者は緊急に対応しなければならない。場合によっては彼自身が診療に当たる必要があるだろう。こういった緊急時のいわば戦術予備としてもトリアージ医師は機能することが求められる。
しかし大部分の患者はABCDだ。彼はこれらの患者をどの診療医師に割り振るかを決定しなければならない。判断が難しいのがCDの患者だ。これらをぱっと見で見分けるのは難しい。もちろん最終的な診断は診療医師が検査データなどを基にして下すわけだが、トリアージ医師はこのCD予備軍の患者をどの診療医師にあてがうかを考えなければならないのだ。
同じ診療科であっても各医師はそれぞれにさらなる専門分野を持っており知識の範囲が違う。同じ患者であっても医師によってはCDではなく治療方法が分からない対応不可能のE患者となってしまう。その場合には診療医師の間でたらい回しすることで解決できるのだが、病院にとっても患者にとっても二度手間になるという非効率的な事態を招く。
次に彼は診療医師がどれだけの手間を要求されるかを判断しなければならない。ここで診察時間の見積もりを失敗すると、予定された診察時間内に患者を診終わることができなくなる。もっともこれに関しては後で述べるように極端な精度を要求されない。どのみち診察時間は診てみないとわからないものだからだ。


診療医師
診療医師はこのチームでの主役だ。彼は患者の治療に直接の最終責任を負わなければならない。
分業制の医療において大きな問題となるのがこの患者への最終責任を誰が負うかということだ。通常の財の取引においては最終責任は組織の長、本当の最終は社長になるだろう、が負うことになる。しかし医療においてはサービスの対象が値段のつけられない命であるためにこの方式を利用できない。命の責任は命で負わなければならないからだ。
もしも診療医師が重大なミスを犯して刑事責任や賠償責任を負わされたとしたらどうなるだろうか。ミスの内容にもよるが賠償責任は組織で負担することができる。これは普通の財の取引のときと同じだ。しかし刑事責任は難しい。ものすごく極端に言えば殺人事件として起訴されることもありうる。遺族が復讐のために刃物を持ち出してくることもありうる。組織の長は管理義務として応分の責任を負う必要はあるが、管理義務を越えた部分に関しては有限責任までしか負う事はできない。
例えば手術中に外科医が手術ミスを犯して患者の体を傷つけてしまったとしよう。院長はミスが起きにくい環境を管理する責任は負っているが、その責任を果たしていた場合、つまり適切な休養を与えるなどの環境を整えていた場合には外科医が一人で刑事責任(業務上過失傷害容疑)を負わなければならない。ただし患者の追加的な治療費に関しては、使用者責任として病院が賠償責任をかぶることになるだろう。
一方、例えば自動車の修理工場で修理中に整備士が客の自動車のボディーに引っかき傷を作った場合はどうなるだろうか。ぎりぎり言えばその整備士も器物破損(これは親告罪である)に問われる可能性はあるが、賠償を行ってさえいれば不起訴処分となるだろう。愛車を傷つけられた客に賠償の直接責任を負うのは自動車工場である。ミスの内容によっては自動車工場が整備士に賠償を要求することはできるが、この整備士が賠償に応じようと応じまいと、自動車工場は客に賠償を行わなければならない。
もちろん整備士が作業中に人身事故を起こしたのならば本人が刑事責任を問われることになるだろうが、この事故は整備士の仕事内容とは直接にはリンクしていない。しかし医者はその業務を行う上で人間の体を傷つけることを要求され、医師法の範囲内でそれを行う。その特殊性のために医者は前近代的な義務を背負わされているのだ。
この最終責任を負わされる医者は同僚に仕事を委託することを嫌がるだろう。彼の責任を負わされている患者が、彼の同僚のミスで被害を被った場合、彼は自分が責任を負わされることに理不尽を感じるからだ。あきらかに同僚のミスのときはミスをした本人が責任を取ればいいことだが、例えば申し送り時の言葉の解釈の違いなどでは誰がミスをしたのか曖昧だ。ミスの所在が曖昧でも責任の所在は明確でなければならない。この理不尽を回避するために多くの医者は患者を囲い込み、それが近代的な病院システムの構築を阻害してきたのだ。
この最終責任の問題は完全解決することはありえない。いつ何時、空から隕石が降ってきて自分の頭を直撃するか分からないのと同様に、どれだけミスが発生しないように注意してもミスは絶対に発生するし、ミスがなくてもトラブルは発生する。解決できないのならば解決しないというのも一つの方法だ。前近代的なシステムのまま、一人の医者が責任を抱え込むために得意分野も不得意分野も自分の手で実行すればいい。しかし僕はこんな医者にかかりたくはない。
診療医師は理不尽というリスクを抱え込まなければならない。我々が交通事故の理不尽なリスクに脅えながらもまっとうな社会生活を送っているように、医師もまた金甌無欠の要塞から外界へと討って出なくてはならない。それが医療の効率(質および処理時間)を上げるのだとしたら、分業を受け入れなくてはならない。
ただしタダでこの理不尽リスクを診療医師に背負わせてはならない。彼が受け入れたリスクの分を補填してやらなければならない。これは近代的な大人と大人の取引なのだ。
まず最初にするべきはリスクを小さくする努力だ。これは主に病院の経営者が努力する部分だろう。リスクが現実のものとなる確率を小さいものにする、つまりミスが起きにくいシステムを構築しなければならない。責任所在地の明確化も重要だ。これらについては書くべきことが多いため、後段に詳述する。
次にできることは金銭的な補償だ。リスクの分だけお金による報酬を増やすことで釣り合いが取れる。元来、命に関するリスクはお金では補償できないものだったが、リスクの発生確率を小さくすることによってお金で補償できるものにできる。交通事故の発生確率が非常に小さいときに、バスの運転手がそのリスクをお金で補償されることを了承するのと同じ状態だ。
最後にすることが労働時間の短縮だ。通常であれば労働時間は報酬と交換可能であるために前段落とかぶってしまうのだが、医者の場合には特殊事情があるために分けて考えなければならない。医者の場合は労働時間が長すぎるために短縮された労働時間はお金では計れないほどの(前近代的な)価値となる。「労働時間の短縮なんか無理だよ」という寝言は黙殺しなければならない。我々日本人が仕事を近代化し効率化することで単位時間当たりの労働生産性を飛躍的に向上させてきた歴史をしっかりと見据えなければならない。できないと考えるほうが愚かなのだ。
実は労働時間の短縮は医者にとっていいことだけではない。もしかしたら収支計算はマイナスになるかもしれない。なぜならば労働時間を人間が許容できるレベルまで減らすと、医者にとって重要な報酬である名誉の獲得量が極端に減少するからだ。
医者は名誉を得るためにノーブレス・オブリージュを支払っている。高い能力もまた名誉という報酬になるはずだが、現代の高学歴社会では医者になれる程度の能力ではそれほど驚いてもらえるわけではない*1。能力が高いと見せかけるためのテクニックもいろいろと紹介したが、これもそのからくりを暴かれてしまえばそれまでだ。結局のところ名誉を集めるために頼りになるのはノーブレス・オブリージュだけである。
労働時間が常識的なものになるということはノーブレス・オブリージュを発揮する場面が減るということだ。国民として常識的な義務しか果たしていない人に対しては、国民は普通の人に対するものと同じ程度の尊敬しか支払わないだろう。そのように軽んじられることに耐えられない医者はわざとサボタージュを行い、労働時間の引き延ばしにかかる*2
僕はこの「名誉が減らされる問題」に関して積極的な解決方法を用意しない。名誉が何よりも(休息よりも自分の健康よりも)大事だと価値づけている人に対して、どのようなものも代償となりえないからだ。僕が言えることは極々月並みな慰めの言葉だけだ。曰く「普通の価値観では名誉よりも自分の健康が大事なんですよ」「長時間労働だけがノーブレス・オブリージュではないですよ」「名誉が減ることは軽蔑されることとは違うんですよ」と。前近代から近代へと社会が移行するときに、多くの人がこの挫折を味わってきた。本人の価値観からすると純損かもしれないが、これは理不尽な出来事ではないのだ。


インフォームドコンセント医師
インフォームドコンセント医師の仕事は極端に簡単で、しかも責任は非常に軽い。医師法がなければこの仕事をなんの国家資格も持たない人間に任せてしまっていいくらいだ*3。そのために高齢者やパートタイムでしか働けない医者を積極的に活用すればいい。そうすれば人件費の節約になるはずだ。
僕はインフォームドコンセント医師はABの患者に対してだけ出番が与えられるべきだと考えている。ABの患者は数は多いが病気の種類は少ない。こういった内容ならば伝達ミスとか伝達の手間とか考えずに気楽に診療医師が申し送りを行える。インフォームドコンセント医師は医者にとっては常識的な内容をオウムのように繰り返し口ずさむだけの仕事が要求されるだろう。
だいたい医者が口頭で説明する必要すらない。患者に8ページくらいのパンフレットを渡して読ませればいいだけのことだ。その内容に納得できなかったり少々質問をしたいと考えている患者だけインフォームドコンセント医師の部屋の前に新たに行列を作って並べばいい。大部分の患者はパンフレットを読めばそれでお役ごめんだ。さっさと家に帰って暖かい布団で寝てもらおう。
インフォームドコンセントが重視されるようになったのは国民の教育レベルが高くなったためだ。医者の言っている内容が理解できると感じている国民が医者の言葉を聞きたくなったのだ。「知る権利意識が高まったから」などというのは権利獲得大好き人間のたわごとだ。「知る権利」は昔からあって、誰かが与えてくれるものなんかではない。同様に「知らせる義務」は昔も今も存在しない。国民は「知らせない医者」を選ばない権利があるのだからそれ以上の権利は必要ないのだ。
インフォームドコンセントは医者がノーブレス・オブリージュの一環として行う作業であり、患者に自分を選んでもらうための付加サービスだ。国民の基礎的な教育レベルが高まったおかげで、医者が説明するコストが小さくなり、説明によって国民が得られる満足が大きくなった。そのためにインフォームドコンセントが企業活動として成立するようになった。
ならばその国民の高度な教育レベルを信じてもう一歩前に踏み出せばいい。患者自身にインフォームドコンセントの作業を委ねてしまえばいいのだ。ほとんどの患者にとって知りたい知識は8ページ程度のパンフレットで十分だ。そしてそれでは足りないという患者にだけもう少しの知識を伝えてやればいい。
しかしCD患者にはこの手法の適用は難しい。そしてCDの種類は非常に多いために診療医師からインフォームドコンセント医師への伝達の手間とかも考慮すると、診療医師が直接その場でインフォームドコンセントを行うことが効率的だろう。
4患者の場合はケースバイケースだ。診療医師が大急ぎで治療の準備をしているときにインフォームドコンセント医師がそれを行うことがいい場合もあるし、時間をかけても診療医師が行うほうがいい場合もあるだろう。


スイッチングコスト
この分業案は経営学的には極々王道の提案だ。少品種大量生産の商品はコストをかけてマニュアルと流れ作業システムを構築し、多品種少量生産の商品は現場の主体的な判断で個別対応を行う。どこからマニュアルを適用し、どこからは現場の自律的行動にまかせるかの線引きはオペレーションズリサーチなどの手法で計算し、マニュアルの内容はテーラーシステムを基に作り上げればいい。そしてそのシステムがトラブルを起こさないようにTQCで管理する。
このシステムの導入にはかなりのコストがかかる。百床程度の病院なら3千万円から1億円くらいだろう。だいたい5年くらいで償却可能な額だ。多分5年後にはシステムにも慣れて、もっと大きな利益をあげられるようになる。明日からいきなり完璧に稼動して大儲けできるシステムなど存在はしない。しかし明日の苦労を背負えない経営主体は10年後には倒産する。
もちろん改革をしたせいでトラブルが拡大し、死期が早まることもあるだろう。だからこそ科学的に改革案を練り、成功確率が高い手段を考えなければならない。そのためには病気を抱えている患者が医者の助言を求めるように、経営学を身につけた専門家に助言を求めるべきなのだ。


医者にピンキリがあるように、経営学の(自称)専門家にもピンキリがあります。ここで述べている改革案はどちらかというとピンに近いですが、100点満点で80点程度の案です。俗っぽい言い方をすればMBA(経営学修士)の講師レベルです。ここからさらに点数を上げようとすると、現場での取材やシステムを実際に運用して試行錯誤を行うなどのコストが必要です。
試行錯誤なしで「これが完璧なシステムだ!」と主張する香具師の改革案は危険ですし、逆に減点部分だけを見て「完璧なシステム以外は認めない!」と主張する既得権益保守派の攻撃も危険です。
一番無難な方法は、自分が多少の知識を身につけた上で(自称)専門家にお金を払って意見を求める方法です。僕はお金をもらってこれを書いているわけではないので、「多少の知識」レベルの話しかしません。しかしまずは皆様に「多少の知識」を仕入れてから議論をしてほしいなあという願望を持っています。
明日(明日は無理かも)はようやく本題の待ち時間のシミュレーションを行います。

*1:ここで問題にしているのは医者になるための最低限の心的能力である。当然驚くほど能力の高い人もいるのだが、それらの人も個人的には名誉を集めることができても、医者という肩書きに対してはそれほど多くの名誉を集めることはできない。

*2:これは医者の世界だけで起きる現象ではない。サラリーマンの世界でも能力が低い人間ほど積極的に長時間の残業を行って職場内での地位を高めようと努力している。しかし効率の低い長時間労働に高い残業代を払うのは馬鹿らしいのでホワイトカラーエグゼンプションという対抗案が出されている。

*3:献血の窓口にいる医者よりかは仕事量は多いと思う。