病院システム近代化計画 その8

ここからは理想論です。法律上実施困難なことも書きます。
法律上無理なことを要求するということは法律を変えるべきだという提言でもあります。しかし法律を変えると非常に複雑な問題が発生します。法律は基本的には必要だから国会で審議されて作り出されます。もちろん大店法*1のように不思議な進化を遂げてしまったものもあるが、それはそれで民意がそうであったからと解釈するべきです。その法律を変えようという提案は下手をすると民主主義の否定につながります。「愚かな大衆に代わって頭のいい俺様があるべき法律を教えてやるぜ」という態度です。
この啓蒙思想の罠にはまらないためには、そもそもの法律が成立したときの趣旨を理解することから始めなければなりません。医療に関する法律はどのような目的で作られたのか。なぜ他の経済行為と同等に扱えないのか。その法律がなければどのようなトラブルが発生するだろうか。医療に関するいくつもの法律があるがそれらはどのように関係しているか。そのうちの一つだけを改正した場合、他の法律との齟齬は生じないだろうか。
僕は法律の専門家ではないし、そもそも医療にどのような法律が存在するかなどはなんとなくの一般的知識しか持ち合わせていません。その代わりに僕は経済学を使います。その法律が保護しようとしているものはなにだろうか。その法律による保護を解除するとどのような不思議な進化が発生するだろうか。それは大元にある国民の期待に反したりしないだろうか。
この議論を進めるためにシリーズの前半で医療の経済学的意味を解き明かしてきました。それでもやっつけ仕事なのでいくつかの齟齬が発生するでしょう。それは僕の能力的限界であり、法学の専門家に任せるべき部分であると思います。


無駄無駄無駄無駄!
水平分業だけでもほとんどコストをかけずに顧客満足を高めることができた。しかし水平分業では労働の偏在は解決できても全員の総労働時間はほとんど変化していない。これを解決するためには垂直分業による業務の効率化と業務内容の見直しによる無駄の削減が必要だ。垂直分業に関してはすでに書いたので再度の詳細な説明はしない。しかし無駄の削減と垂直分業は大きく関わっているので、やはり何度も言及しなければならないだろう。
無駄を探し出す行為は後ろ向きで無駄な作業だ。無駄なものなどそこかしこにあるし、無駄を省くために考案した手法が無駄を生む原因になったり*2、際限のない泥沼にはまることは目に見えている。
ならばどうするか。「必要なこと以外しない」を実行することだ。各人が各人に割り当てられたことだけを確実にこなし、他人の仕事に手出し口出しをしないこと。これの実行に成功すると仕事量は半分くらいに減る。顧客満足も半分くらいに減る。口出しできないことで精神衛生が悪化する。3日後に必要でないと判断していたはずの仕事が山のようにたまっていることを発見する。当然改革の提案者は非難の的だ。しかしそれでもこの手法は無駄の削減の王道だ。
今日はこの失敗を検証していくことにしよう。失敗を検証することで、逆に「どうすればうまくいくか」が見えてくるからだ。


必要作業リストの作成
必要な仕事を見落としている。
当たり前だがこれが一番の原因だ。どんな無駄っぽい作業も何らかの目的で行われていたのだから、それを省いてしまったのならいくつかの必要な仕事が置き去りにされてしまう。これの根本的解決方法は二つある。無駄削減運動をやめることと、必要な作業が見つかったときにそれを「必要作業リスト」に順次書き加えていくかである。
無駄削減運動は馬鹿らしいからコメントしない。改革をせずに生き残っていけると信じるならば改革をしないことを選ぶだけだ。しかし医療は確実に改革しなければ滅ぶ。
必要作業リストは文書化されなければならない。文書化の目的は「文書化というコストをかけてでもリストに載せなければならない作業以外をフィルタリングする」「今後の再検討に使う」「各自の作業内容を常にリストと対照させる」である。
作業リストには作業内容・担当者・監督者・作業対象・作業時間・目的・代替手段の提案を明記しなければならない。ここで例として注で取り上げている携帯電話代リストの作成を挙げてみよう。
作業内容:営業マンの携帯電話代のリストを作り、イントラネット上に発表する。
担当者:総務課課員
監督者:総務課課長
作業対象:契約している携帯電話会社
作業時間:2時間/月
目的:営業マンにコスト意識を徹底させコスト削減を図る
代替手段:電話代が1万円を超えると通話できない契約を結ぶ
いやいやいや。僕ならこんな恥ずかしいリストは作れない。代替手段の馬鹿さ加減は別としても目的と作業内容が到底結びつかないからだ。このリストを見た総務課長も僕と同意見でリストへ載せることを認めないだろう。
もう少しましなリストを見てみよう。前近代的な病院での看護師の作業の一つだ。
作業内容:診察の順番が来た患者が待合室にいないので探しに行く
担当者:看護師(名前も書く)
担当者:診療医師
作業対象:行方不明の患者
作業時間:3分*5回/日
目的:患者を診察室に連れて行き、診察を受けさせる
代替手段:行方不明の患者の順番を飛ばす。受付が常に患者の居場所を把握する。
これで作業の必要性とコストがはっきりする。誰がそれを行っているかも分かる。このリストが承認されているならば担当者は堂々とこの作業を行えばいい。
しかしマネージメントの責任者はこの作業の見直しを指示するだろう。まず最初に作業時間の記載が本当に正しいのかを疑う。3分や5回を疑うのだ。このリストを記載した人間は記載した内容が正しいと信じて書いているだろうが、統計を取ってみると現場の感覚と実際の数字はたいてい乖離している。もっと多いかもしれないしもっと少ないかもしれない。
次に作業担当者を疑う。本当に彼(もしくは彼女)がその作業の適任者なのだろうか。もっとコストの低い人間や遊休時間が多い人間が担当者になれないだろうか。監督者もそうだ。医師が監督しなければならないのだろうか。僕ならばこの作業に医師や看護師といったコストの高い人材を投入しない。受付が担当者になり、受付の責任者が監督者になればいい。
作業時間と投入人員が判明すればその作業にかけられているコストが判明する。そのコストと代替手段に必要なコストを比較し、有効だと判断すればシステム変更の余裕があるときに実施すればいい。
必要作業リストに載っていない作業は基本的には行ってはいけないが、世界はそんな杓子定規に運行されているわけではない。絶対にリストに載っていない作業をしたいという場面が発生する。そのときには少し迷ってから実行すればいい。ただしその後にその作業を必要作業リストに上申する必要がある。その都度マネージメントの責任者は担当者と代替手段の検討に追われることになるだろう。
杓子定規に担当者を規定すると「担当者を呼びに行く」という無駄が発生する。そういう無駄が発生しそうな場合には事前に複数の担当者を規定しておき、その中に優先順位をつけておく。自分より優先の担当者がいない場合には自分が作業を行うとするのだ。


精神衛生上の問題
現行の必要作業リストを見ると、きっと監督者の大部分に「医師」と記載されているだろう。しかし僕のような管理者がリストを手直しすると「医師」が監督者になる場面は医師法によって必要とされる場面だけになり、大幅に「医師」の監督権限が削減される。
これは医者に監督能力がないからの措置ではない。医者のコストが高いからの措置だ。コストのかかる医者は医者しかできない作業だけに没頭していてもらいたいのだ。近代的な病院において医者には医療以外の能力は求められないのだ。
これは医者にとって大きな精神的苦痛になるだろう。医者はその前近代的な報酬形態から名誉を得なければならないのに、その名誉が与えられる機会が激減してしまうからだ。
監督するということは命令できるということだ。監督される者の上位にあるのだというマウンティング行為だ。監督する能力を持っていると内外に示すことも重要だ。能力が高ければ尊敬に値し、より多くの名誉を受け取ることができる。
医者は管理責任者に文句を言うだろう。「俺がうまく仕事をするためには俺の都合のいいように周りが動いてくれなければ困る。だから俺が監督するべきなんだ」これは上記の名誉を求める気持ちから来ている屁理屈なのだが、一片の真実も含んでいる。医者がより多くの患者を診察するためには医者が診察に専念できなければならない。それを阻害するようなシステムを作ってしまうと元も子もない。
しかし管理責任者は医者の前近代的な要求を聞き入れてはならない。システムの管理は医者よりもコストの低い管理責任者*3が担当者となるべき作業だからだ。管理責任者は医者の要望をある程度は聞き入れてシステムの改造を行うだろう。しかしすべての要望を聞き入れてはならない。それぞれの医者にはそれぞれの要望があり、それは時に矛盾するものになるだろうからだ。堅固なシステムはその内部の個人が入れ替わっても支障なく運営されなければならない。水平分業を行うためにはシステム内部の行動様式の統一が必要になるのだ。
管理責任者は医者のスケジュールの管理も行わなければならない。もちろん医療上の理由*4で医者が主体的にスケジュールを決定しなければならない場面はある。しかし予約時間の変更などの医療上どちらでもいいスケジュールは医者の管理から外されなければならない。コストの高い医者に「スケジュールを考える」などという作業をさせてはいけないのだ。




うん。シリーズ前半で医者と名誉の関係を解きほぐしておいてよかった。それがないと今日の後半の説明は無理でした。明日も必要作業リストの解説が続きます。

*1:大規模小売店舗法。本来は大規模小売店舗が出店しやすいようにとの趣旨で国会に提出されたのだが、審議中に換骨奪胎されていつの間にか大規模小売店舗が出店しにくいように規制する法律になってしまった。

*2:ある会社で営業マンの携帯電話の電話代を削減しようという馬鹿な仕事を作り出した総務がいた。総務は手始めとして営業マンの携帯電話代リストを作成したのだ。ほんのちょっとした要件で客先を訪問するという無駄を省くために彼らは電話を利用していたはずなのに。電話代ワースト2の人いわく「これこそ俺がたくさん仕事をしている証拠じゃないか」

*3:通常の企業ではこの管理責任者もコストが高い部類に入るのだが、いかんせん医者のコストが高すぎる。

*4:手術の日程など、どうしてもこのタイミングで治療行為を行わなければならないというもの。