病院システム近代化計画 その11

前近代の保護
我々は近代社会を生きているが、それでも我々のすべては前近代的なものを完全に排除して生きていけるわけではない。それぞれの職業にはそれぞれの職業に特有の名誉があり、ノーブレス・オブリージュがある。
僕はこのシリーズにおいて医者に近代化を要求しているが、それでも前近代のままでいてほしい部分もある。能力とノーブレス・オブリージュのそれぞれに一点ずつ、「その4」で書いた「見つけられるはずの病気を見つける」能力と「その1」で書いた「死にかけの病人をほうっておくことはできない」ノーブレス・オブリージュだ。
近代的な病院であってもこれら二つの前近代的な要求を満たすための機能を備えなければならない。それが僕の提案しているトリアージ医師だ。トリアージ医師がいなければ「見つけられるはずの死にかけの病人」に対して適切な処置を病院は行うことができない。しかし実はトリアージ医師の存在は病院の利益にはほとんどつながらない。どちらかというと彼の人件費を考慮すると赤字の職種だ。「順番待ってる間に手遅れになったら、それはその人の運命だよ」とドライにほうっておけるならば病院はトリアージ医師を配置しないことを望むだろう。
病院や医者のこういった無用の出費に対して国民は対価を支払わなければならない。それが医師免許の交付であると僕は考えている。医師免許は二つの意味で医者にとっての利益である。一つ目は「医者であることの証明」だ。医者は医師免許によって「医者という能力」を持っていることを内外に知らしめることができ、それによって名誉を得る。二つ目は医師法によって規制された経済行為を行うことができることだ。規制産業は参入業者が少ないために一般の産業と比べて価格は高めになり利益が増大する。つまりはお金という報酬を多めに受け取る権利だ。
実は医師免許のほかにもう一つ国民が払うべき対価がある。それは「医療行為の邪魔をしない」ことだ。急患が現れたとき、医者が順番を飛ばしてその急患を治療することを国民は了承しなければならない。それに文句を言うクレーマーを周囲の人間はたしなめなければならない。このルールは現在のところモラルやマナーの範疇に入るのだが、僕はこれを法制化してもいいのではないかと考えている。現行法でも威力業務妨害の罪に問うことはできるのだが、医者の業務を妨害することは医者が治療している患者の身体を害する危険もあるために、より重い罰則規定が課せられるべきではないかと思うのだ。
もう一つ「医療行為の邪魔をしない」ための提案がある。医者が運転する車に緊急車としての赤ランプをつける許可を出すべきだと思うのだ。もちろん生命の緊急時以外には赤ランプを使用するべきではないし、使用した場合には事後的に警察に届出をするべきだろう。事前に運転講習もするべきかもしれない。
これによって医者は救急患者のための待機を自宅で行うことができる。酒を飲んだらまずいが、自宅で家族と過ごしたり、やわらかいベッドで寝たりできる。医者に「どんな患者が来るか分からないから病院で四六時中待機する」というノーブレス・オブリージュを押し付けてはいけない。医者が医療に専念できるように、彼らには安らかな個人の生活を与えなければならない。
こういった職業に特有のいくつかの名誉や義務が医者には与えられるが、全体としては大きく前近代的な名誉や義務は削減されるべきだ。医者も一般国民と同じ一人の人間であり、その命には優劣をつけてはならない。それが近代のルールだ。


近代化の影響
こうやって医者の前近代性を削除することで医療業界にどのような変化が起きるだろうか。
もちろんその第一は医療産業の効率化だ。このシリーズでじっくりと検証したように医療の近代化を阻んでいる最大の要因は医者(と国民)の前近代性だった。その原因を取り除けば、近代社会のさまざまな社会科学的技術を取り入れることができ、医療産業は効率化する。
医療産業が効率化することはいいのだが、それによって医者個人の収支はどうなるだろうか。僕は短期的には医者の収入は増えると予測している。公定価格のため医療は効率化しても医療産業の収入は変化しないからだ。収入が同じで仕事が効率化されたならば、その産業内の労働者への分配は当然に増える。増えなかったらストライキを起こしてもかまわない。医者は近代性を獲得する段階でストライキの権利も当然に獲得しているからだ。
医者が近代化するにあたって現場レベルの医療技術も向上する。現在、医学自体は進歩しているのだが、医者の無謬性を維持するために新しい医療技術が現場に導入されないことがある*1。しかし近代化した医者は面子など気にせずにいいと思った技術を導入することができる。そうしなければ近隣の同業他社に競争で負けてしまう。
そしてもっとも重要なことであるが、医者の数が増える。はっきり言って今の医者の労働条件では医者になりたいと考える若者は気が狂ってるといわれても仕方がない。よほどノーブレス・オブリージュに燃えているか、よほど名誉が大好きかのどちらかだ。暴論であるが、この状態では医者の能力は低下せざるを得ない。医者になるための条件が能力ではなく本人の価値観となってしまっているからだ。そして前近代的な価値観に染まった人間が多数入ってくることで医者全体の前近代性は高いままに維持される。
医者の労働環境が近代的なものになれば、医者を目指す若者は増えるだろう。高い基礎能力を持った若者は高収入を目指して医者という職業を選択する。現役の定着率も高くなるだろうし、高齢者やハンディキャップを持った人もその人なりの能力に見合った職場を見つけ出すことができる。「明らかに医者の数が増えた」と感じるようになるまでは10年以上の時間が必要だろうが、「医者人口の減少が止まった」ならばかなり早い段階で実感できるのではないだろうか。
「明らかに医者の数が増えた」状況になったとき、経営側からの医者の淘汰が始まる。能力が低い医者はいらないと解雇されるようになる。場合によっては若い医者が就職できない社会問題も発生するだろう。そして医者の年収は下がるだろう。
ただしこの労働需給問題は医療の需要によって大きくその予測が変化してしまう。10年後には高齢化社会の影響でさらに医療への需要が高まり、医者の労働需要も高いまま推移するかもしれない。


近代化へのインセンティブ
単純にお金の問題だけから見れば病院が近代化するインセンティブは存在する。今まで僕が書いてきた改革案が話半分だとしても明らかに病院の利益は増大し、医者の過重労働は減少するからだ。
しかし僕は実際のインセンティブに関してはかなり悲観的だ。中小の個人病院のいくつかは聡明な院長のリーダーシップにより近代化のための意識改革は実施されるだろう。しかし残りの病院、なかんずく公立の大規模病院や大学病院に関しては近代化はこの先10年は不可能だろう。それはひとえに彼らが倒産の危機に瀕していないことに起因する。
倒産の危機に瀕していれば話は簡単だ。近代化するか倒産するかである。どちらを選んだにしろ前近代的な病院は消滅する。だが公立病院は倒産しない。公立病院が倒産するときは自治体が倒産するときである。いや、自治体が倒産しても公立病院は継続されるかもしれない。大学病院もしかりだ。大学病院が倒産することはその大学出身の医者にとってかなり不名誉な出来事であるために、倒産する前に寄付がかなり寄せられることになるだろう。そして医大出身者の可処分所得はそれ以外の大学出身者のそれよりもはるかに高い。
倒産しないのであればなぜ近代化をしなければならないのだ?近代化すると医者の金銭的報酬は増えるかもしれない。しかし名誉という報酬は激減する。前近代のパラダイムを信じて医者になった人間は、お金のために医者になったのではない。彼らは名誉のために医者になったのだ。ならばわざわざ近代化して報酬を減らすのは合理的な考えではない。
公立病院や大学病院の勤務医は医者の中でもエリートである。エリートであれば名誉も大きい。しかし彼らの金銭的報酬は同業他者に比べて少ない。彼らは医者の平均よりも名誉を重視する。そしてそのようなコミュニティーの中で「医者は前近代的だ」と叫んだらどうなるだろうか。村八分にされてあげくに追い出されることは目に見えている。通常の企業であれば改革の引き金になりそうな過重労働もノーブレス・オブリージュの向上への合理的行動だから、逆に前近代性の維持に貢献しかねない。
これらの大病院は前近代的な状態が均衡点にあるために変化しようがないのだ。もしも外的な巨大な力が働いて近代的な均衡点に強制的に移動させられたら、それはそれで彼らにとって心地よい世界に変わるだろう。しかしそのために必要な力はあまりにも大きすぎる。
大病院の前近代性に耐えられない医者は、素直に前近代的パラダイムに従って大病院の中でコマネズミのように働き続けるか、大病院を改革するために巨大なパワーを出すことよりも居心地のよい近代的な小病院に転職するかを選ぶだろう。そしてそのうちにだんだんと転職組が増えていき、大病院は医師の補充が追いつかなくなる日が来る。そこでさらに過重労働が強化されて、ある日突然に均衡が崩壊する。
このビッグバンを医療の崩壊と見るかクーデターと見るかは、見るものの立場によって違うだろう。僕は単純に局地的な(しかし影響力のある局地である)クーデターだと捉える。いくつかの大病院が崩壊しても、中小の病院や町医者は存続するために患者にとっては医療が消滅しない。逆に下克上のチャンスだと張り切る個人病院も出てくるだろう。
ビッグバンの当事者にとってはまさに天地がひっくり返る思いかもしれない。だが「国破れて山河あり」なのだ。


注意:「近代化の影響」と「近代化へのインセンティブ」には文責を負いかねます。勝手な想像による文章です。結論を出すためのブラックボックス自体は正しいと思ってますが、ブラックボックスに入力するデータはあまりにもいい加減な数字です。そのため当然に導き出される結論もいい加減なものになっています。


とりあえずの完結
とりあえず終わりました。疲れました。全部で100kbです。文庫本で半分くらいです。
今日までに僕が書いてきた内容は、僕にとってはすごく不本意な方向性を持っていました。僕は「できるだけ人の気持ちを害さない」というルールを僕自身に課していますが、このテーマを追求するためにはどうしても医者という職業を選んでいる人の気持ちを害するような真実を明るみにせざるを得ませんでした。一応、これらは個人を中傷するものではないと断っておきたいのですが、そんな言葉は気分を害した人々にとってなんの慰めにもなりません。
これらが世界の真実だったとして、それを受け入れる人と受け入れない人がいるでしょう。それは人としての尊厳をどこに置くかの問題です。進化論よりもインテリジェントデザインを受け入れる人も多くいますが、僕は彼らの欲望を否定しません。彼らが僕にインテリジェントデザインを受け入れろといってきたときにだけ反発します。
そして僕のほうこそがこの医療というテーマにおいてインテリジェントデザインの側なのかもしれないという不安を僕は抱えています。でも僕の見識において僕は正しい道を歩んでいると僕は信じています。僕の理論を否定しようとする人に対しては全力で反論します。もちろん僕が論理的にやり込められて自説を曲げることもあるでしょう。でもそのときはそのときで、そのときの僕にとってそのときの僕が正しい道を歩いているので何も困りません。
反論や賞賛のコメントをお待ちしています。もちろん賞賛のほうが嬉しいです。僕だって名誉が好きな俗人です。
でも僕は本当に医療なんてどうでもいいと思っているので反論に対する反論などは途中で力尽きるかもしれません。それだけは事前に謝っておきます。


明日はシリーズの目次をアップします。
明後日以降はQ&Aを予定しています。

*1:例えばいつまでも傷口を消毒し続けるとかだ。