病院システム近代化計画Q&A その2

NATROMさんのコメントへの返答です。
返答がかなり長くなっていますが、「読む気をなくさせる大量の文章を提示して煙に巻く」を意図しているわけではありません。長くなるのは以下の3つの理由によるものです。
1.共通の知識的基盤が小さい
2.簡潔に説明する能力が足りない
3.細かく説明するのが好き
長い文章を読むのは面倒くさいことなのですが、できるだけ分かりやすい文章で書くことを心がけていますのでどうかご容赦ください。


>お疲れ様でした。
なんてやさしいあたりまえだろう!このあたりまえの一言をおれは求めていたんだっ!!新約 炎の言霊―島本和彦名言集〈2〉より


>現在の日本の医療システムは効率が悪いというのが前提とされているように思えるのですが、それは事実ですか?諸外国と比較すれば、効率と言う点では日本はきわめて優れています。
「日本の」という言葉の反対語は「世界の」になるわけですが、僕は外国の医療現場についての知識*1がないので、「世界と比較した日本の」医療システムという形では意味のある議論をすることができません。僕ができるのは医療産業が他の産業と比べてどのような特質を持つだろうかということを経済学的に推測することと、将棋板の外から次の指し手はどうするべきかと無責任に語ることの二つだけです。
「近代において人間の生命が代替不可能な財となったために医療産業は前近代的な性質を持つことを要求されるようになった」この命題は国籍に影響をうけません。その国の近代レベルがどうなっているかには大きく影響を受けますが、それは命題の前提条件である「近代」というパラメーターが変化しているだけの話で命題自身の正否には関係がありません。そして近代というパラダイムの次に来るべき「ポスト近代」においてはきっと別の命題が適用されることになるでしょう。
現在の日本には「ポスト近代」というパラダイムの萌芽があるような気がしますが、僕はまだこれに関しては深く考察していません。なので文責を負えない想像でしか書くことができないのですが、「ポスト近代」においては「近代」において罪と認定されている前近代的な感情(名誉が大好き!など)を公式に是と認める価値観が出来上がると考えています。ここにおいて医療産業がどうしても固持しなければならなかった「前近代的な価値観を満たすために近代的思考方法を否定する」というプロトコルを使わずに近代的な管理技術を導入することができます。
さて、日本の医療が諸外国に比べて効率的ということですが、その判定方法には3種類の側面があります。
1.「日本人の遺伝的体質や食生活などの習慣によって日本人の疾患率が低かったり、回復するための基礎体力が高い」「日本人の文化としてクレームを主張する人が少ない」という外的要因
2.公定価格制度によって価格が据え置かれているために、投入されている人的物的コストを安く見積もっている会計的要因
3.単純に本当に効率がよいという内的要因

この3種類の要因の合計によって効率が比較されるわけですが、もしも第3要因が負の値であったとしても第1要因・第2要因が大きな値であれば総合で効率がよいと判定されますし、逆の状態もありえます。
実際は僕は第3要因は結構大きな正の値だと想像しています。日本人の教育レベルは非常に高いですし、工夫が大好きであることや外部不経済を撒き散らすことへの嫌悪感はどのような産業でもその効率を上げることに寄与するでしょう。
第1要因に関してはそれが正か負か知りません。なんとなく正の値ではないかと想像していますが、なんとなくでしかありません。第1要因の前段が正の値であることは社会的に望ましい状態なので、それを強化するための教育を行うべきだと「その10」で言及しています。
第2要因は諸外国と比較した場合にはどうかわかりませんが、国内他産業と比べると明らかに正の値です。名誉という金銭でない報酬を取引通貨とするという簿外取引が行われていることと、医者(とりわけ公的病院の勤務医)の給与を不当に安く見積もることで金銭をベースにした会計上の効率が引き上げられています。簿外取引に関しては、僕はこのような取引は好きではないですが、きちんと報酬が支払われているのならば正義とするべきでしょう。しかし医者に不当な低賃金を押し付けていることは不正義だと思っています。いすれにせよこの部分の関与度を明らかにしない限りは全体的な効率の話はいい加減であやふやな議論にならざるを得ません。
そして重要なことは現在の日本の医療が効率的かどうかではありません。もっと効率をよくできるかどうかです。僕はまだまだ効率化できる部分は多くあると思っています。効率化への道は「血を吐きながら続けるマラソン」ですのでゴールはありません。今日のところはこれ以上効率化はできないとなっても、明日に新技術が発明されればさらに効率化を進める余地が出てきます。


>いったいなぜどこの国もそうしないのでしょう?アメリカ合衆国なんかは喜んで採用しそうですが。
日本は科学技術の点でも経済規模の点でも世界の最先端の国の一つです。もはや我々は諸外国の動きを後ろから見て自分の行く道を決める場所を走っていません。そしてこれは僕の私見ですが「ポスト近代」のパラダイムへは日本が最初に到達できるのではないかと思っています。そうなると日本が最初に医療の近代化を果たす役割を担わされてもおかしくありません。
確かにアメリカはこういった近代化が好きなのでアメリカのどこかの州が先に医療近代化革命に挑戦するかもしれません。もうやってるかもしれません。よく知らないです。ただ、アメリカの文化は「近代化原理主義」みたいなところがあるので、近代というパラダイムが要求する「医療の前近代性」を排除しきれないのではないかとも思っています。
僕の近代化改革案は現在の技術革新を前提にしているものです。その前提となる技術が社会に浸透してからまだ十年程度しか経っていませんから、まだどこの国でもその技術を利用したシステム改革が行われていないことは不思議ではありません。そして他産業に比べると近代化が合理的になるために要求される技術レベルが医療産業において高いことは既に述べています。


>また、たしかに緑の窓口や路線バスは「近代化」して効率的になったのでしょう。しかしそれは現場をまったく知らない人によってなされたものなのでしょうか?
何度も言及していますが、現場の協力なしに現場の近代化は絶対に行えません。しかし現場の努力だけで近代化を行うこともほとんど不可能に近いことです。局所的にはそういった不可能を可能にする天才が出現する可能性がありますが、そういったオーパーツ的な改革は同業他者の理解を得ることは難しく、歴史の波に飲まれてしまうことが社会の常識です。
いくつかの条件が重なったときにはこのような局所的な天才の出現が業界を大きく震撼させる場合はあります。その条件は以下の通りです。
1.その産業は法律的な規制をほとんど受けていない
2.改革時にはその産業の規模は小さかった
3.その産業の急成長を受け止めるだけのインフラが存在する
4.産業規模が大きくなったときも中核組織は比較的少人数のチームで運営できる
(5.軍事上の利点がある)

これらの条件をクリアーして成功を収めた産業はかなり少ないです。巨大産業にまで成長したものは「三国間貿易*2」「コカコーラ*3」「検索エンジン*4」などがあります。しかし多くの産業ではこれらの条件に当てはまらず、特に医療産業は条件が最悪に近いです。
局所的な天才を受け入れる条件が整っていない産業はどのように自身を改革してきたのかという問いには簡潔に答えることができません。各産業が抱えている固有の条件によって方法論が大きく違ってくるからです。そこで医療産業と条件が似ている鉄道産業を基に改革への道程を見てみます。
まずは(昔の)鉄道産業と医療産業の似ている部分を見てみましょう。
1.法律の規制を大きく受けている
2.国民の生命に大きく関与している*5
3.職業固有のプライドがあり、しかもかなり高い*6
4.国民の生活にほぼ必須のものである
5.産業が急拡大することも急収縮することもない
6.新製品という概念が薄く改良品やサービス地域の拡大が主な営業改革である*7
7.国民一般のレベルと比べると高い技術を有している*8
8.客を待たせて自分自身の組織の運営効率を優先する*9
9.主目的がはっきりしている
*10
違っている部分も見てみましょう。
1.経営規模が極端に違う*11
2.現場労働者の学歴が違う
3.国民の利用頻度が違う
4.代替手段の有無が違う

これらの条件の異同を念頭に置いた上で鉄道産業の近代化の道のりを見てみましょう。


前段階 古きよき時代
官僚がひいた青写真にしたがって業界地図が作られたり、主目的を強化するための技術革新が現場主導で行われます。
ここで実施される改革のほとんどは主目的を達成するためのものとなります。これは主目的がはっきりしすぎていることの弊害ですが、主目的がより確実に達成できるのならばコストが上がったり顧客満足度が下がることは重大な問題ではなくなります。ただし主目的は国民の生活に必須のサービスであるために、少しくらいコストがかかっても社会的な効率は向上します。


第一段階 社会的な効率とのずれ
主目的を向上させるための投資は年々限界費用が高まり、それによって得られる限界利益は年々小さくなります。よほど大きな基礎技術上の発明がない限り、このミクロ経済学の一般法則から逃れることはできません。その結果、限界費用限界利益を上回る日がいつかやってきます。他の産業では新製品を開発することでこの限界利益の罠から逃れることができるのですが、鉄道も医療も新製品の概念が薄いのでこの罠にはほぼ確実にはまる運命にあります。


第二段階 高価格化と顧客満足度向上
第一段階の罠を放置すると(しかも放置せざるを得ないことが運命付けられている)前段階で稼いだ効率の貯金が次第に減ってきて最終的には累積赤字に至ります。本来ならばこの段階で技術開発への投資を削減したり、事業の存続そのものを見直す必要があります。しかしこれが国民の生活に必須の産業であるために事業規模の変更は許されません。また現場のプライドや士気を保つためには技術開発をやめることも許されません。
ここにおいて経営陣は経営方針のパラダイムの変更を要求されます。今までは主目的の向上を目指すことが経営方針上の正義だったのですが、これからは別方面での効率向上によって顧客の引止めを行わなければなりません。つまりは顧客満足度を引き上げることを主目的での高コストを背景とした高価格の代償とするのです。
鉄道においてはこれは指定切符販売のオンライン化であり、医療においてはインフォームドコンセントとなるでしょう。これらのサービスは純粋に事業者の持ち出しになりますが、これがなければ顧客は激減することになります。国鉄は当時、日常的な運賃改定が行われていましたし、医療では健康保険の受診者負担割合が改正されています。これは現場にとっては労働強化でしかありません。しかしこの労働強化を受け入れない労働者は職を失うことになります。経営陣も現場労働者に労働強化を押し付けない限り、事業自体の破滅を招くことになります。
しかしこれらのサービスは国民にとって必須のものであるために実際には国民は不買運動を起こすことができません。その代わりに国民は政治家を通して規制内容を変更することでこれらの産業の経営方針に影響を与えます。国民は国鉄を完全解体することもできるし、医療の保険点数を変更させることもできるのです。もちろんこのような破滅的で急進的な意見は実際の政策に直接反映されることはよほど政治が変な国でなければありえないでしょう*12。その代わりに妥協案として上記のサービスが実行されることになったのです。


第三段階 主業務のコスト削減
しかし第二段階の改革は第一段階で直面した業界の高コスト体質を改善するどころか悪化させる方向でしかありません。これは短期的な解決方法であり、長期的な解決を図るためには別のパラダイムを創出しなければなりません。
それこそが主業務を効率化することによるコスト削減です。
注意していただきたいのはこれは前段階における主目的の強化とはまったく別の方向を目指した改革であるということです。主目的の実行能力をできるだけ維持することに努めるべきですが、どうしても必要ならばそれを弱体化させることも許容しなければなりません。
この主目的の弱体化(あえて弱体化と書きます)がなぜ国民に受け入れられるのでしょうか。その産業は国民にとって必須であり、国民の生命そのものにも直結していたはずではなかったのでしょうか。国民が主目的の弱体化を受け入れられるのは、すでにその主目的が相当に強化されているからです。上を見ればきりはないのですが、国民は現状での主目的の達成状況にとりあえず満足しています。日本国内のほとんどの主要都市間は一日で往復可能ですし、よほどの離島でなければ一日で片道を移動可能です。医療も不治の病は相当珍しくなってきています。たとえ不治の病でもそれ以外の原因で死ぬ確率が高くなるほどに病状を安定させることができるようになっています。これ以上の主目的の向上は国民にとっては必須で喫緊の課題ではない、つまり代替可能な財になってきているから市場原理が適用されるようになり、価格の低下が要求されるようになってきているのです。
この改善部門の変更は現場労働者にとって個人的な労働強化になります。現場労働者はこれまで主目的の強化するための個人的なスキルを磨いてきていたのですが、これからは別のスキルを要求されるからです。今まで磨いてきていないスキルを要求されることは、まっさらな状態の新入社員にとっては同じ努力が必要とされる作業でも、熟練労働者にとってはこれまで以上の努力を要求されるということです。
またこの改革方向は労働者の士気を大きく損ないます。労働者は主目的の達成こそが自分の生きる目的だと信じてきたのに、それを否定され、場合によっては逆方向の努力を要求されるからです。
それでもこの改革を行わなければ第二段階と同じ脅迫を国民から突きつけられることになるでしょう。現場労働者はこの脅迫を快く思いません。誰だって脅迫されることは不愉快な現実です。しかし脅迫に抵抗しすぎると国民側も意地になり、最終的には業界が崩壊するような政治選択を行う危険があります。現場労働者は彼らのノーブレス・オブリージュを守るためにどこかで妥協しなければなりません。
国鉄民営化はこの脅迫がかなり最終段階まで進んだ時点で妥協が達成されたために、国鉄労働者は大きな妥協を要求され、国民は巨大な国鉄債務を負うことになりました。もっと早い段階(例えば10年ほど早く)に妥協が達成されたならば、場合によっては国鉄は民営化されなかったかもしれません。その場合には労働者の解雇人数も少なくなり、解雇される労働者も長い猶予期間が与えられることになったでしょう。妥協がもっと遅くなっていたならば国鉄はもっと細かく分割され、現在よりももっと多くの路線が廃線になったでしょう。もしかしたら四国や北海道の路線は今の5分の1くらいの長さしか残らないかもしれません。


妥協とは妥当なところで協力すること
ここまで見たように、鉄道や医療産業では国民と現場労働者の利害は第三段階において真っ向から対立します。この対立だけを見るとNATROMさんのように現場無視で改革が進められるように感じるでしょう。そして現場労働者は国民から裏切られたように感じるでしょう。しかしこの対立は産業の性格からして不可避のものであり、現場労働者にも国民にも非があるわけではありません。
しかしこの対立局面で妥協を拒否しチキンレースから降りないことを宣言する人間は、どちらの側に立つものであっても社会的に糾弾されます。第二段階まで強化され続けたこれらの産業の主目的は国民にとって必須の社会的インフラであり、それを破壊するようなことは許されるべきではありません。
妥協は対立する両者にとって敗北ではありません。互いに受け入れられる部分を譲歩し、受け入れられない部分を譲歩させる行為だからです。こうして突き詰めるとNATROMさんの持たれた疑問、「それは現場をまったく知らない人によってなされたものなのでしょうか?」は言葉上は「そうではない」という答えに行き着きます。しかし僕は言葉上の論理だけでなく実際の方法論においてもNATROMさんを納得させたいと思っています。でもあまりにもたくさん書いたので疲れたから(読むのも疲れるし)また次回ということで許してください。

*1:ERを少し見ただけ。その中で一つだけ印象に残っているシーンがある。救急で運ばれてきた血だらけのエイズ患者を前にした医師が一瞬、彼女の傷口に触れることをためらうシーンだった。その医師はそれを理由に解雇されるのだが、エイズ感染のリスクを冒してまでも治療をしなければならないのはノーブレス・オブリージュだと思う。合理性大好き!近代マンセー!のアメリカでもやっぱりノーブレス・オブリージュは存在するんだなと感心した。

*2:20世紀初頭、国際貿易に従事する貨物船は本国と相手国との間を往復することが普通だった。運良く輸出トン数と輸入トン数が釣り合っている場合は往復ともに満載で運行することができたが、釣り合ってない場合はどちらかの航路を空荷で運行せざるを得ず非効率だった。しかし運行先を固定せずに第三国を経由して貿易を行うことを始めると大幅に積載率が改善される。本国をまったく経由しない第三国間の航路を積荷の発生状況で選ぶならばさらに積載率は向上する。日本では鈴木商店が最初にこれを行った。鈴木商店は他にも一船売りや寄港地を定める前の出航などで莫大な利益を上げ、これらは現在の総合商社にも広く取り入れられている。
 このイノベーションの時点ですでに鈴木商店は大企業となっていて2の条件をクリアーしないが、鈴木商店の内実は中小企業的でよく言えば官僚機構の重石を持たない組織だったので4の条件はクリアーできている。鈴木商店が急成長した時期は第一次世界大戦のときで5の条件をクリアし、同盟国間の貿易は最大限の融通を利かせてもらえたために1の条件もクリアできていた。

*3:黎明期のコカコーラが成功した第一要因は「どこでも同じ味のコカコーラが飲めるようにする」ことであった。当時の清涼飲料水の市場はメーカーがスタンドに原液を販売し、スタンドがそれを水で希釈して客に販売していた。希釈率は一応の目安でしかなく、スタンドの都合や店員の判断で変更が可能なものだった。しかしコカコーラはスタンドを徹底指導してコカコーラの設定した希釈率を遵守させた。これによりコカコーラは「いつでもどこでも同じおいしいコカコーラが飲める」ブランドを確立したのだ。
 コカコーラはこの時点で1と2の条件をクリアーしており、原液の味の管理だけをすればいいので4の条件もクリアーしている。3の条件に関してはすでに存在しているスタンドにコカコーラを採用させることや競争相手の原液メーカーを買収することでクリアーできた。

*4:いわずもがなのグーグル先生のこと。これに関してはいくらでも書籍が出ているので説明は省略する。

*5:昔の鉄道では死亡事故が日常茶飯事だった。客が死ぬことは少なかったが、保線要員や工事作業者がよく死んでいた。

*6:昔のバスの運転手は割り込みをかけてきた車の運転手を引き摺り下ろして説教をしていたらしい。しかしそんな武勇伝を持った運転手その人が現在ではそんな無茶なことをしたら懲戒対象になると苦笑していた。おっとこれはバスの話だ。

*7:鉄道で言えば豪華客船のような旅そのものを楽しむサービスなど。医療で言えば健康な人間に筋力増強サイボーグ手術を施すなど。そして新製品はまったく新しい概念に基くものが多いために、僕の想像力を超えた新製品が多分多数あるはずです。

*8:列車の運転なんて普通の人間が日常生活で身につけられる能力なわけがない。教育や訓練を受ければそれほど難しい技能ではないのだろうけど。しかし彼らはその違いを総合的な人間としての能力の違いだと主張することでプライドを保っている。

*9:これが悪いというわけではない。この方法論で全体的な効率が高くなる産業だということ。

*10:医療ならば患者の治療。鉄道ならば乗客の輸送。切符の販売は主目的ではない。実はここまで主目的がはっきりしている産業は珍しい。多くの産業ではお金が儲かるのならば中間目的などはどうでもよい状態である。そしてお金というのは単なる代替手段に過ぎないので非常に曖昧な目的だと言える。

*11:路線バスやタクシーなどを含めた公共交通機関としてみるならばこの差は縮まる。それでも国鉄は極端に大きな経営規模だったが。

*12:独裁国家ではしばしば変な政策が実施される。その最右翼は中国の文化大革命だ。アフリカや中南米の国家の近代史を紐解くと不思議な政策はいくらでも見つけられる。このような破滅的な政治を行わなかったという一点だけもってしても自民党の歴代政権は高い評価を受けてしかるべきだと思う。