病院システム近代化計画Q&A その6

すいません。少しやる気を喪失していたのとPCの調子が悪いのが重なってゆっくりになってしまいました。また、やる気とPC以外の個人的理由によって今後(数ヶ月程度?)更新頻度が大きく落ちると思いますので気長にお付き合いください。


まずは「Q&Aその1」でのコメントへの返答を終わらせてから次へ進みたいのですが、前回のコメントへの返答をするための前準備をその間に平行して進ませたいと思っています。
なぜ前準備をしなければならないかと言うとNATROMさんが僕の理論をトンデモだと疑っているからです。そのトンデモ認定をする感覚は非常に正常な感覚だと思います。僕から見ても僕の論法のいくつかはトンデモな人々が行うものに酷似しています*1。そして困ったことに僕の理論のいくつかの部分がトンデモであることはほぼ確実です。ただし僕にはどこが正しくてどこがトンデモなのかは分かりません。
なぜ僕の理論にトンデモが存在するかと言うと、それは経済学という学問そのものの本質がそういうものだからです。経済学は人間の欲望という非常に曖昧なものを起点としています。人間の欲望は極々一般的なものからまったく他人には想像もできない不可思議なものまで存在します。そんなわけの分からないものから出発した経済現象は当然にわけの分からない現実というものになります。言うなれば経済学はアトムが存在しない学問なのです。
そうは言ってもまったく思考実験を放棄したならば、世界はいつまでたってもその輪郭すら我々に示されないでしょう。だから経済学者はある程度のイレギュラーは除外したところで理論を構築し、実践者は自分の周囲のイレギュラーを取り込んだ上で対応策を練ります。これが僕が何度も現場情報の重要性を主張している理由です。イレギュラーを除外した観測結果から帰納的に立てられた理論はイレギュラーな現象を説明する場合にはトンデモになる可能性は非常に高いのです。逆にイレギュラーな状況に特化した理論は一般的な状況ではトンデモになってしまう可能性が高いです。そしてイレギュラーを多く含んだ理論は地動説や労働価値説のように複雑怪奇な理論に成長していきます。そのうちに「科学はできる限りシンプルであるべきだ」という一般原則から大きく逸脱した経営学はだんだんとトンデモな雰囲気を身にまとい始めます*2
一般的な経営学が説明しようとしている世界において、医療産業はイレギュラーの塊です。そのために一般的な経営学をそのまま医療産業に適用すると恐ろしく頓珍漢な回答が得られるでしょう。そんな回答ばかりを聞いてきた医者が経営学者をトンデモな連中だと感じるのは当然の結果です。
経営学者にとって一番楽な方法は、医療産業はイレギュラーが多いから放っておきましょうと無視することです。経営学者が無視したところで、現場の人間は自分の飯の種だから真剣に、既存の経営学を利用できずとも自分の現場を改善する方法を考えるでしょう。世界はイレギュラーが大量に存在するので医療産業以外でもこのように放置されている産業は大量に存在します。しかし医療産業は巨大なマーケットであり、重大な政治的マターです。経営学が世界の多くを放置できなかったと同様に、医療産業を放置できません。これを放置すると経営学的考察によるデータに多くを依存している経済統計やマクロ経済学の予測にも大きな影響が発生してしまいます。
僕にとっては経済統計もマクロ経済学も興味のない分野です。僕にとって重要なことはミクロ経済学と、ビジネスマンとしての僕の能力です。ビジネスマンとしての僕はこれからもいろいろな産業に関っていきます。それらの産業には当然独自のイレギュラーが存在し、僕はそのイレギュラーを計算に入れた経営学的理論を構築して対処に当たらなければなりません*3。医療産業はその練習台みたいなものです。
医療産業は僕にとって練習台なのですが、ここで僕がそれなりに役に立つ理論体系を構築したならば、それは医療産業にとっての資産になるでしょう。これは同床異夢な状態ですが、医療産業と僕はどちらも「それなりに役に立つ理論体系」が出来上がることに対しては共通の利益となります。
僕が「それなりに役に立つ理論体系」を作り上げるためには、僕が「理論を作り上げるために重要だ」と感じる情報を収集する必要があります。しかし残念なことに僕が重要だと感じる視点からの情報をNATROMさんがあまり提供してくれていません。それどころか僕はNATROMさんがどの視点から見ているかすらいまいちはっきりとしていません。だから当然に話は多くの場所でかみ合わなくなります。
この問題を解決して最終目標へと近づくためには、せめて僕が「NATROMさんがどの視点から見ているのか」を知る必要があります。それがここで言う「前準備」です。
この情報提供のお願いはNATROMさんの直接の利益にはあまりつながりません。実は僕にとっても直接の利益にはなりません。なんだか馬鹿げたことに首を突っ込んでいる状態です。負担になり過ぎない程度にお付き合いくださいと利他的精神に訴える以外ありません。しかし上述したように互いに間接的には利益になるだろうとは思っています。しかし「こんなトンデモっぽい奴の話に付き合わされたり、利用されたりするのはあほらしい」と考えるのであればそれはそれでしかたがないことだと思っています。


いつもどおり前置きが長くなったのですが、まずは最初の質問です。イエスノーで答えてください。ノーのときには理由もお願いします。イエスでも文字コメントがあると分かりやすいです。ちなみに今回に限らずほとんどの質問に対する僕の答えはイエスになる予定です。
1.どの産業でも労働者にはお金以外の報酬も与えられている。
2.医療産業においてはお金以外の報酬の絶対値が他産業よりも大きい。*4
3.医療産業従事者を育成するためのコスト*5は他産業の平均よりも高い。
4.医者と同程度に育成コストがかかっている人材は他の産業にも存在する。言い換えれば「医者よりも育成コストがかかっている人材は他の産業にいない」というわけではないということ。
5.医者と同程度の育成コストがかかっている他産業の人材の平均年収は医者よりも低い。(医者・他産業ともに自営業を除く)




>さらに、診療医師とインフォームドコンセント医師が異なる場合、情報を伝達するのにコストがかかります。たとえば気管支炎に対して抗生剤が処方された場合、その理由を明確に伝達しなければなりません。「その病院内だけで通じるコード」では細かいニュアンスは伝わりません。インフォームドコンセント医師と診療医師が分業するメリットをまったく理解できません。限定された情報のみを説明するシステムであれば、現在既にあります(薬剤に関することのみ説明する薬剤師など)。
僕の主張は「供給側からの分類」「インフォームドコンセント医師」で書いていますが、一般的・類型的な症状に対してだけ分業を行うべきということです。一般的・類型的な事柄ならばNATROMさんが挙げられている薬剤師の例でも分かるように適当なコードで意思疎通はできます。
わざわざ「その病院だけで通じる」と書いたのは、これらのコードはたいていの場合、現場でうまく通用するように変更が加えられてしまうからです。最初は誰かが頭の中だけで作り出したコードを使うために意思疎通がうまくできないでしょうが、そのうちに現場でコードにいろいろと改良が加えられ、いつのまにか一つの言語体系を作り出してしまいます。そのために「その病院でしか通じない」コードになってしまうことでしょう。
このような短縮言語は多くの産業の多くの現場で作成され使用されています。同じ社内でも違う事務所では別の短縮言語が使われているなどということもあります。これはわざわざ作り出さなくても、たいていの現場で自然発生的に出来上がります。
当然短縮言語にはデメリットもあり、類型的でない細かいニュアンスは語彙にないためにコミュニケーションができません。そのために類型的でない患者の割合が高い病院においては短縮言語を用いた申し送りは効率的ではなくなります。

インフォームドコンセント医師
しかしCD患者にはこの手法の適用は難しい。そしてCDの種類は非常に多いために診療医師からインフォームドコンセント医師への伝達の手間とかも考慮すると、診療医師が直接その場でインフォームドコンセントを行うことが効率的だろう。



しかし今日はこれ以上インフォームドコンセントに深入りすることは控えましょう。この問題を実効性が期待できる程度に議論するにはもう少し互いの視点を揃える必要があると思います。




>そもそも、待合室で待ちたくない患者は、開業医にいけばよろしい。
僕はこの部分、というかこの問題の最終結論部分に関してはほとんどNATROMさんと同じ意見だと思います。違うのは開業医よりもスーパーマーケット病院のほうが効率がよさそうだと考えているところです。
僕は風邪をひいて大病院に通院する人はすごく迷惑な存在だと思っています。風邪程度の病気を治す(風邪は医者が治せるわけではないけど)のに大病院の設備や、大病院勤務医の能力は過剰だと思っています。また大病院に通わなければならない病気を持った患者にとっても、風邪ウイルスを撒き散らしにやってくる人々はバイオテロのような存在です。公共輸送機関内に風邪ウイルスを撒き散らす人もバイオテロです。




>運転できない高齢者の利便性はむしできるのか?
無視してません。

スーパーマーケット病院
僕は通院距離の問題は乗用車の世帯普及率が高いことで社会的にはカバーできると考えている。病院には駐車場を併設するべきだが、予約時間が明確になっていることで駐車場の満車率も極端にひどいことにはならないだろう。そして乗用車がない人に対しては自治体で病院タクシーのようなものを作って対応することが望ましい。





>よしんば、分業が効率的だと仰るのであれば、大病院の医師には入院患者に専業するのが効率的ではないですか。日本はアクセスフリーが建前であるから、開業医でも診れる外来新規患者を大病院の医師が診させられているのです。たいして効率化にならないスーパーマーケット病院を作るより、病診連携を強化して、大病院の外来のアクセスを制限するほうが効率的であろうと思います。
しかしどうやら日本の法律では彼らをして大病院に来させないことは不可能らしいです。ならば彼らが大病院に行きたいと考える欲求を操作することしか解決方法はありません。その一つの案が大病院での初診料の高額化です。しかし彼らが大病院に通いたいと考えるのは「前近代的な欲求」によるものなので、多少の金銭ではこの欲求を曲げさせることは困難です。
このての議論を見るたびに思うのが「医者から見た合理的な行動を患者が取るだろう」と勝手に期待をしているなあということです。「患者がどのような行動を合理的と考えるだろうか」ということを考えなければ「患者をこちらの思惑通りに誘導する」ことは不可能です。人はそれぞれ異なった欲望と異なった価値観と異なった知識に基いて自分の行動を合理的に判断します。お金だけで彼らを誘導することは不可能ですし、医者の価値観で彼らを誘導することも不可能です。ただし法律ならば強制力があるので不可能を可能にしたりします。
ならば彼らの「前近代的な欲求」を満たす施設を用意することで、彼らの足を大病院から離してしまおうというのが先日、厚生労働省から発表された総合科の新設だと思います。僕のスーパーマーケット病院構想も同じように患者の「前近代的な欲求」を提示して大病院から(もちろん開業医からも)患者を奪い取ることを狙っています。
これは医者に限らない話ですが、人が組織を作ることは単純な分業のスケールメリットだけではなく、知識を共有することも目的とされます。大人数で手分けして獲得した知識を組織内で共有することで個人レベルの知識も一匹狼と比べると増加します。個人的な資質にもよりますが、開業医と病院の勤務医ではどうしても勤務医のほうが能力が高くなります。開業医では勤務医の能力に追いつき続けるための努力はとてもペイしないほど高くなります。患者は勤務医の高い能力を目指して大病院に来るのだから、どうしても開業医では完全な代替案にはなりません。
スーパーマーケット病院程度の規模があれば、知識・能力に関する規模の経済も働くので、厚生労働省の提案する総合科の看板を上げれば大病院から客を奪い取ることができるのではないかと考えています。


一方で「大規模病院の憂鬱」で書いているように大病院の効率化は難しいと考えています。非定型の患者が多いから分業も難しいでしょう。それでも僕がシリーズでいろいろと紹介してきた効率化の手法を現場に応じて導入してみれば多少は効率を高めることはできるでしょう。わけの分からない風習を取り除くだけでもけっこう違ってくるとは思います。ただし頭の固い人々が怒ってくるでしょうが。
しかし本当に大規模病院が利益(効率ではない)を向上させたいと考えるならば、風邪程度の軽い病気の患者を大量に受け入れることが一番金銭的に合理的な方法です。せっかく、来るなといってるにもかかわらず大量の患者がやってくるほどのブランド力があるのならば、それを逆手にとって大々的に初診患者を呼び込めば繁盛間違いなしです。大病院の中にスーパーマーケット病院部門を作ってしまってそこで初診患者を受け入れればいいのです。別にスーパーマーケット病院でなくても、NATROMさんが大好きな開業医を大量出店させてもかまいません。その裏で入院患者部門は初診患者に煩わされずに専門の患者を診察していればいいのです。
もちろん医者の合理からするとわざわざ通院時間をかけて来る患者は馬鹿なのですが、馬鹿に合わせてみると大儲けにつながるというのも経営学の真理の一つです。どうせ風邪でわざわざ医者に行くこと自体が馬鹿げているのですから、それを開業医が面倒見ることも大病院にテナント出店したスーパーマーケット病院が引き取るのも同じだと割り切ってみるのはいかがでしょうか。




>ポケベルやらカードーリーダーやらより、そのほうが効率的です。患者側からの通院のコストも軽減できます。
ここが議論の発端でした。
この部分への単純な突っ込みは「少しでも効率を上げられるものを全部採用しないと民間企業と生産性で勝負はできないよ」です。費用対効果が高いものから着手するのは仕方がないとしても、効率が上がると分かっていることをあえてしないことには何か別の理由があると推測することが妥当でしょう。
それは多くの医者の言葉の端々に出てきていますが、「予約のない(どうでもいい病気の)外来患者を相手にしたくない」です。彼らに来て欲しくないからわざと「顧客不満足」な状態に彼らを押し込めています。
僕は欲望肯定派なので医者や病院がそのように考えることが悪いとは思いません。逆に嫌がられているにもかかわらず大病院にやってくる患者のほうが悪いと思っています。医者や病院は堂々と「一般外来はしたくない」「一般外来に来てほしくないからわざと待ち時間を分かりにくくしている」「一般外来なんてしたっぱの仕事はレベルの低い開業医にさせればいいだろ」と言えばいいのです。
そんなことをはっきり口に出してしまうと「医者のノーブレス・オブリージュが…」「医者の無謬性が…」となってしまうことは分かっています。しかし科学の世界では原因と行動に論理的な因果関係が必要です。「病院の一般外来の診察の効率化はこれ以上は無理」という反証がたくさん出てくる非論理よりも、「レベルの高い医者に一般外来なんてレベルの低い仕事をさせたら社会的な効率が下がるから、あえて一般外来では効率化を進めない」のほうが論理的です。
そういった論理的な本音が出ずに、逆に経営学や経営工学の限界でこれ以上効率が上がらないと言われてしまった日には、どうしても僕はこれに反論せざるを得なくなります。もしも経営学が無力だったなら、それを自分の売りとしている僕の能力の商品価値が下がってしまうからです。

*1:これは僕の論法がトンデモに酷似しているのではなく、トンデモの人々が科学の論法に似せた論法を使うからです。

*2:実際に経営学では多くのトンデモがまかり通っている。知り合いがMBA(経営学修士)を取りに大学院に通っていたが、そこでの講義にもけっこうトンデモが混じっていた。もちろん大部分の講義はトンデモではなかったが。

*3:そのための僕の方法論が経営学のメタであるミクロ経済学を積極的に導入して効用価値説のようなシンプルな理論を作り上げることだ。ただしそれと同時に経済学の曖昧という宿命も背負い込むことになっている。

*4:アニメーターはお金という報酬が低いためにお金以外の報酬の比率が非常に高い。これもかなりイレギュラーな産業だ。

*5:このコストには基礎能力が高い希少な人材を獲得するためのコストも含まれている。