病院システム近代化計画Q&A その7



「更新の頻度が極端に落ちます」と宣言していたのですが、ここまで間を空けてしまうつもりではありませんでした。更新頻度が落ちる原因の一つは解消したのですが、まだ完全には片付いていません。当面、ひきつづき更新頻度が落ちることを予告しておきます。
コメントに対する返答が全然間に合っていないのですが、できるだけ全部のコメントに返答していきたいと思っています。まだ力尽きていないです。

woodさん
>待ち時間の短縮=医師の診察効率向上=診察数向上と理解しました。
最初はそのつもりで書いていたのですが、考察を進めていくうちにこういった構図ではないと気づきました。
「待ち時間の短縮=顧客満足度の向上」と「医師の診察効率向上=診察数向上or診察時間短縮」の二つの問題に分かれています。後者に関してはそれが実現できたならば明らかに経営者のインセンティブとなります。しかし前者は直接には経営者のインセンティブになりません。
「待ち時間の短縮」が実現できたならば、病院は「患者が待つための設備」を小さくすることができます。しかし既存の病院においてはその設備はすでに存在するために、この設備に対する費用は埋没費用となっており、「待ち時間の短縮」ができたとしてもこの費用が返ってくるわけではありません。逆に駐車場利用料金という収入が減ってしまいます。
もしも医療産業が医療保険などのない完全市場の場合には、我々国民はこの「顧客満足度の向上」という問題に対して直接の要求を行う権利は存在しません。どの程度の顧客満足を提供するかは病院側の完全な自由です。顧客にできるのは顧客満足の高い病院を選択して利用することで間接的な影響を与えることだけです。
 しかし日本の医療産業は規制産業であり、しかも医療保険への加入は国民の義務となっています。日本国民(医療保険に加入している人間なら国民でなくてもいい)は医療産業の経営に直接の利害関係を有しており、これに口を挟む権利を持っているのです。ただしこの権利の行使方法の王道は選挙を通じて政治を動かす方法であるべきです*1
どの規制産業でも同じことが起きていますが、このような間接的で途中に役所という人為的ファクターが存在する市場ではどうしても他の競争市場の産業と比べると効率化の速度は落ちます。その結果、これらの規制産業の効率化は政治的マターとなります。政治的マターを議論するためには「なぜ医療産業はこうなのか?」という考察から始めないと解決の糸口はつかめないというのが、長々とシリーズを続けざるを得なくなった理由です。


>通常企業では「規模の効果」は同じ事を同じ人数で行う事を意味しません。
おおむね正しいのですが、現在の経営学はもう少し先を行ってます。経営学においては「規模の経済はどのような理論で発現するのか」をつきつめ、その理論を適用することで同じ人数でもより効率的なシステムを構築することが可能になっています。
そうは言ってもあまりに少人数だと規模の経済の発揮は難しいので、たいていの場合は人数を増やすことで効率化を実現させます。なので「おおむね正しい」です。


>shinpei02氏は専門家でない立場で提案がなされました。
僕はミクロ経済学経営学に関する専門家です。僕は「人間の欲望」と「人間が欲望を満たすためにどのように行動するか」ということに関してはたいていの医者よりもはるかに深い知識を持っています。そして医療産業も人間が従事しているので、僕の知識はこれらの組織の効率化案の作成にはあきらかに有用です。
もしも人間が個人的な欲求を完全に押さえ込み理性のみで日々を過ごすことができるのならば、僕の持っている能力なんかよりも産業の主業務に関する専門知識を持った人間のほうが現場の効率化にははるかに有用でしょう。しかしそのような理想は言葉の上でしか実現しません。人間は誰しも自分でもよく分からないさまざまな欲求に突き動かされて生きているものです。

読者さん
>Q&Aができたのでこちらに書き込みます。
返答が遅くなってしまいもうしわけありませんです。


>スーパーマーケット病院に限れば、患者さんの平均通院回数は2回くらいとの見積もりですが、糖尿病など慢性疾患で定期的に通院が必要な患者さんもそこに通うとすると、平均5回くらいにならないですかね。
慢性疾患にかかったことがなかったので見積もりが甘くなってしまいました。実際の平均はどれくらいなんでしょうか。2回が5回でもスーパーマーケット病院の有利は大きくは揺らがないとは思いますが。


>前日までの予約患者が多いのでトリアージ医師の前に行列はできない、ということは、基本は電話予約のアクセス制限で自分で急患と思う人だけが飛び込み受診ということでしょうか?
なぜ行列が発生するかというと、答えは至極単純で「業務時間のある時間帯に処理能力を超えた患者が集中するから」です。業務時間全体の処理能力を超えた患者が集中する場合は、もはやそれは行列処理の効率化では対応できない事態となってしまいます。
ならば「なぜある時間帯に患者が集中するのか」の理由を探し出し、その理由を解決してやれば「業務時間の全般にわたってまんべんなく患者が来院する」状況を作れ出せます。もちろん患者は患者の都合でそれぞれ勝手に来院するのである程度の揺らぎはどうしても不可避で、その結果、時々行列が発生することも不可避です。
なぜある時間帯に患者が集中するのか、もっと正確に言うとなぜ朝の始業時間に患者が集中するのかを考えてみましょう。
一つ目の理由はすごくわかりやすいものです。それは夜に発病した人が朝まで我慢して、病院の始業時間にやってくることです。出物腫れ物ところかまわずなので24時間営業の病院がある程度増えない限りは解決が不可能でしょう。
二つ目の理由はゲーム理論的なものです。行列の先頭に近ければ近いほど病院での待ち時間が短くなるので、多くの患者が行列の先頭を目指して早い時間帯に殺到することになります。患者は自分以外の患者もそのように行動するだろうと予測して、それを出し抜くためにより早い時間帯に来院する行動を選択します。常識的な理性では、緊急性がない限りまんべんなく来院することがそれぞれの待ち時間を短くすると思うのですが、ゲーム理論の支配する実際の世界ではこのような理不尽な現象が発生してしまいます。
待ち時間が不透明な状況ではこのゲーム理論的現象はさらに加速します。行列の先頭に近い者ほど待ち時間のブレは小さくなるからです。行列の後ろの方にいる患者はいつ呼び出されるか分からない状況で何時間も待合室で待つことを余儀なくされてしまいます。この状況では始業時間の1時間くらい前に病院の前で行列を作るか、終業時間の2時間くらい前に来院するかの二つの選択肢しか患者には与えられません。
逆に言うと待ち時間がある程度透明になればこの患者の集中は緩和できることになります。患者はどの時間帯に来院しても、始業時間に来院したときと同じ程度の待ち時間のブレしか強要されないことになります。どちらかというと、始業後の緊急患者の処理という不確定要素が一段落したあとに来院するほうが待ち時間のブレという点では有利な状況が発生します。
ただし当然のことですが、それでも早く来院したほうが早く診察は終了します。そのために患者にとっては早く来院することが利益になります。しかしその利益と、始業前に病院前で行列に並び始業後も病院内で行列を作ることの不利益を比較すると、病院内の行列がすいているだろう時間帯を狙って来院することを選択する患者は増えます。そしていったん病院がすいている時間帯に来院することが患者の利益になるようになれば、今度は患者がそれぞれすいているだろう時間を予測し始め、患者の来院タイミングはさらに分散化することとなります。神の見えざる手が発動するわけです。
そうやってお膳立てをしても、日常的に患者が集中するいくつかの時間帯は残るでしょう。そしてその混雑具合にあわせて診察医師を一名か二名、トリアージ業務に応援に派遣する解決方法もありだと思います。これもまた規模の経済が発揮される一場面です。


>大病院では、紹介が基本でトリアージはそれほど重要でない代わりにインフォームドコンセントが重要になりそうですね。ここでは1人の患者あたりの診察時間を手術時間も平均して15分とし(現行の制度では医師1人で1日の患者30人では経営が成り立たないかもしれませんが)1日の手術件数は医師一人あたり2件とすると、5人の診療医で1日10件の手術に対してインフォームドコンセント医は1人で足りるか。
非定型な患者が多数派をしめる大病院では僕のスーパーマーケット病院用のシステム案はあまりうまく機能しないと思います。もちろんその前段階で述べてきた様々な効率化理論の応用は可能だと思いますが、どれを応用するべきかはちょっと分かりかねます。
このような病院でもインフォームドコンセント医師を設置することは有効かもしれません。ただしこれは流れ作業的な効率を目指しての設置ではありません。患者への説明説得は得意だけど手術は苦手な医者と、その逆で患者への説明説得は苦手だけど手術は得意な医者で役割分担をするのが目的です。両方得意な医者ばかりだと分担する必要はありませんが、そのような人材の育成には大きなコストがかかってしまいます。多くの人間は残念ながら万能ではないのです。


>経済学的には、どれくらいの人口にスーパーマーケット病院1つ、大病院1つが適当か、そのためにはどれくらいの医師が必要かというあたりまで踏み込んでいただきたかったです。
この分析を行うための知識がないから無理です。期待に添えなくて申し訳ありません。この知識を得るための調査には大きなコストと権限が必要になります。両方とも僕にはないものです。




NATROMさんとの問答
返答を要求しておきながらほったらかしにするという失礼なことをしてしまい申し訳ありません。できるだけ最後まで問答を頑張りたいとは思っていますが、僕が先にやる気をなくす可能性もあります。そのときには「ごめんなさい。やる気なくしました」と宣言してからやめることを約束しておきます。


NATROMさんの返答へのコメント
2.医療産業においてはお金以外の報酬の絶対値が他産業よりも大きい。
他の産業についてはよく知らないが、イエスだろうと私は思います。


よく考えるとお金以外の報酬はそれを計測するための客観的尺度が存在しないため、大小を絶対値で問うことなどはおかしな質問でした。そうは言っても感覚的にはなんとなくこうじゃないかと言うことができるのが人間のすばらしい能力の一つです。しかし正確を期するためには「思います」という若干曖昧な答えしかしようがないものでした。

5.医者と同程度の育成コストがかかっている他産業の人材の平均年収は医者よりも低い。(医者・他産業ともに自営業を除く)
よく分かりませんが、多分イエス


転職サイトなどで少し情報を仕入れてみたのですが、概観で医者の転職後の平均年収は他産業の3から5倍くらいかなという感じです。もちろん育成コストがかかっていない人材と比べると10倍ちかい差が生じています。きっと3倍くらいが妥当な比率ではないかと思います。2倍を下回ることはなさそうです。


NATROMさんへの質問
1.医者は労働契約で規定されている以上の労働(医療業務)を要求されることがあり、よほどの事情がない限りそれを断ることは倫理上よくないとされている。
2.1のノーブレス・オブリージュは他産業でも業種ごとに存在し、多くの労働者はそれを実行することを倫理的に必要と感じている。
3.医者に課されているノーブレス・オブリージュは他産業(軍隊を除く)のそれに比べて大幅に過酷である。
4.医者のノーブレス・オブリージュの重要なものは以下の通りである。
・目の前に患者がいる状態での休息が許されない。
・どのような患者(軽症者・クレーマー)に対しても手を抜くことが許されない。
・目の前で人が死んだり苦しんだりする。
・私生活での乱れが許されない。
5.ノーブレス・オブリージュの部分に関する報酬をすべて金銭でもらうとしたら法外に感じられてしまうほどの金額を要求したくなる。
6.医者が他産業の同レベルの人材に比べて高い報酬を得ているのは以下の理由による。
・規制産業である。
・医者の提供するサービスが消費者にとって個人的に代替不可能なもの(生命・健康の維持)であるために代替物があるサービスと比べて高い価格となる。
ノーブレス・オブリージュに対する報酬の一部分が金銭で支払われている。


6に関しては少々の補足が必要かと思います。まず最初に医者の報酬が高いことの一番単純な理由は「医者の育成コストが高い」からだと僕は思っています。しかしこの質問の前提条件に「医者と同レベルに育成コストが高い労働者と比べて」がありますのでこの要素はニュートラルとなっています。
次に「規制産業である」ことを医者の高報酬の理由と挙げていますが、僕は「医者が高い金を分捕ってるのは法律で守られているからだよ、簡単だろ」とは逆の考えを持っています。「医者が高報酬なことは規制産業であることだけでは説明しきれない」と考えています。しかしそうは言っても規制産業の従事者は一般的に報酬が市場価値よりも高くなります。代表的なものは弁護士ですが、社保庁の職員の方が分かりやすい例でしょう。社保庁の業務は法律によって「社保庁しか行ってはいけない」と規制されているためにその職員にはあのような仕事振りに対しては過大と言うべき報酬が支払われています。
この理由の中に「労働時間・拘束時間が長いこと」が抜けているかと思われるでしょうが、僕はこれに関してはノーブレス・オブリージュに含めてしまってます。医者の報酬を時間単価にしたとしても医者の高報酬は揺るがないからです。長大な労働時間は医者の報酬にたしかに影響を与えていますが、これは常識レベルを逸脱していることが理由なので、時間の長さだけで説明してしまうとかえって本質を見過ごしてしまうのではないかと考えています。
他にもNATROMさんが「医者の報酬に大きな影響を与えている」と考える理由があれば挙げてもらえるとありがたいです。4も同様にお願いします。
5はNATROMさんがどうかというよりも、一般的な医者がどうかということで答えてください。


問答の他にもいくつかコメントをいただいているのですが、これに関しては問答という前準備がある程度完了した時点で議論を展開していきたいと考えています。


しかし一点だけコメントさせてください。


>「インフォームドコンセントすら知らない人の提案は机上の空論にしか聞こえない」
これは至極普通の感覚で有効な対処方法なのですが、多少の問題点があります。僕的に言うと「典型的な信用醸成の罠にはまっている」です。
まず最初に「インフォームドコンセント以外の論点でも机上の空論に聞こえるのか」です。実際はNATROMさんはいくつかの論点では僕の提案を有効かもしれないと受け入れてくれています。つまりは僕がどれだけ馬鹿なことを言ったとしても、僕がまともなことを言っている部分ではそれを評価してくれなければすべての議論が無駄になってしまうということです。もちろん僕も「NATROMさんなんてインフォームドコンセントに関してこんな意見を持ってるよ。こんな人の言うことは何ひとつ信用できないね」なんて態度はとりません。合意できるところは合意して、理解できる部分は理解して、納得がいかない部分は議論を重ねるという面倒くさいですが価値のある議論を作り上げたいと思っています。
次に「インフォームドコンセントの論点は永久に平行線なのか」です。後日の話とはなりますが、僕はこの論点の論理を分解して説明していきたいと考えています。多分論理のいくつかの部分は簡単に合意にいたるでしょう。そして論理を展開していった結果、「インフォームドコンセントの価値が低い」という命題に関してNATROMさんが納得してくれるかもしれません。逆に僕が「いやあ、NATROMさんの言うとおりでしたよ。わけの分からないことを言ってごめんなさいね」となるかもしれません。現時点ではNATROMさんはNATROMさんが正しくて持論の撤回などありえないと考えているでしょうが、それは僕も同じです。しかしその確信は変化する可能性があります。絶対にどこかに合意地点があるとは限らない命題なのですが、現時点での確信が将来において変化する可能性があるという覚悟は互いに持っていたいと思います。
最後に僕は営業という仕事を専門職にしています。しかも、自分で言うのもなんですが凄腕です。この仕事は顧客に「商品の情報を伝えて理解させて合意にいたれば購入させる」というものです。つまりはインフォームドコンセントです。医療におけるインフォームドコンセントとの違いは扱っている商品が違うことだけです。もっとも扱う商品が違うと、そこで要求される方法論もまた変化するのですが。
僕は「顧客の特質・需要を分析し、それを満たすための商品を選択し、その商品を使用することで得られるだろう顧客の利益を顧客に説明し、それを納得させた上で購入させ、代金を回収する」ことのプロフェッショナルです。その僕が「インフォームドコンセントに関してまったく見当はずれのことを言ってる」と言われてしまうと少し困ってしまいます。


もっとも僕がどのような人物でどのような知識やスキルを持っていようとも、ここで重要なことは「僕の文章が論理的に正しいかどうか」だけです。もしかしたら僕は大病院の院長かもしれませんし、厚労省の官僚かもしれませんし、医療経済専門のシンクタンクのメンバーかもしれません。医療事故で親を亡くして復讐に燃える孤児かもしれませんし、実物の医者を見たこともない無医村の林業従事者かもしれません。匿名のネット空間では論理だけが意味を持ち、人格は意味を持ちません。なので僕が「凄腕の営業マン」なことも話半分で聞き流してください。
そうは言っても僕の人格に関して一つだけ心に留めておいてほしいことがあります。それは「僕はストップウォッチを使って医療現場の動作分析を行ったことがない」ことです。それをしたからといって完璧な改善提案ができるとは限らないのですが、それすらしていない人間が改善提案をしたところで完璧なものができることは到底できません。きっと僕が今していることは、動作分析をするための事前準備です。この事前準備がいい加減なままで動作分析を行ってもいい加減なデータしか集まらず、結果的にいい加減な改善案ができあがります。適切な動作分析計画を立てるためには高度な経済学と経営学の知識が要求されます。
でも実際の社会ではそこまで高度な知識は要求されないことが多いです。なんとなくの知識でなんとなく計画を立てればなんとなくうまくいくものです。なぜこんなにいい加減なやり方でかまわないかということは今後のお題としてとっておきます。

*1:このため選挙権を有しない外国人には権利の行使方法が確保されないことになる。