食料自給率って上げなきゃならないの?



こちらで生徒(?)が落第したので模範答案を作成しました。


日本の食料自給率は低い。1億人もの人口を抱える巨大国家としては異例なほどに低い。それに関しては誰も異論を唱えたりしないだろう。しかし「安全保障のために食料自給率を100%に近づけるべきだ」という極端な意見には異を唱えたい。
この極端な意見はけっこういろいろな場所で耳にする。このような感情的な意見は口に快い。自分が正義で、政府やいまどきの若い者は間違っている。日本はおかしな方向に走っている。このように他人を批判することは無常の快楽だ。そんなアジテーションを真に受けてはいけない。もっと科学的に現状と対策を考えるべきなのだ。


いったいお前は何を言いたいんだ?
まずは食料自給率100%論者の意見を整理することから始めよう。
・国際関係や異常気象の影響で食料輸入が突然に途絶する可能性がある。
・食料が足りなくなり、多くの日本人が餓死する。
・どれだけ可能性が低くても、このような破滅的状況は看過できない。
・だから日本は食料自給率を100%にするべきだ。
いくつかのバリエーションはあるだろうが、基本的にはこのような展開の論理が多い。たしかにこれだけを見ていれば100%の食料自給率がなければ枕を高くして寝られない感じがしてくる。
この論理でまず疑うべきは、100%論者は本当にこのような論理で食料自給率100%政策を目指しているのだろうかということだ。きっとこんな論理などためにする話でしかない。僕は農業関係者の誰かが「輸入品と価格競争したら全然儲からなくなってしまうから、非関税障壁を作って保護してほしい」と考えてこのような与太理論を考案したのだと思う。
次に実際にこのような論理で日本人は餓死するのかと疑っている。後述するが僕は食料輸入が途絶したとしても日本人は餓死しないと考えている。
そして最後に食料自給率100%体制を整えたとして、それで日本人の餓死が防げるという論理を疑おう。食料輸入が途絶しても餓死者は出ないが、エネルギー輸入が途絶したら日本人は餓死するだろう。
ならば目指すべきは食料自給率100%の日本ではないはずだ。もっと違う方法で解決を目指さなければ、破滅的状況は回避できないだろう。


潜在的食料自給率は高い
食料自給率の計算方法はいくつかあるが、ここではカロリーベースと金額ベースのそれを比較してみよう。カロリーベースでは40%と低いが、金額ベースでは70%もある。これはつまり、日本の農家は野菜などのカロリーは低いが価格は高い作物を多く生産する傾向にあるということだ。穀物でも価格の高いおいしい米は面積あたりの収穫量は低く、安くておいしくない米は面積あたりの収穫量が高い傾向にある。
また農産物の供給市場が大きいということは、それだけ多くの農業従事者と農業生産用の資本が日本の国土に存在しているということを示している。
この二つの要因と食料輸入の途絶を掛け合わせてみると、どのような状況が予測されるだろうか。
1.多くの農地で優先的にカロリーベースの収穫量が高い作物が生産されることになる。
2.土地は痩せるが、これを化学肥料の大量投入で補う。
3.肉や果物などの高付加価値食料の供給は極端に小さくなる。
4.カロリーベースでの食糧供給は100%を簡単に達成し、野菜の生産は多少縮小するが健康を維持できるレベルは確実に確保される。
面倒くさいし興味もないのでこの状況を証明するだけの計算はしない。そのかわりにいくつかの数字を挙げておこう。
・日本の耕地面積 500万ha
・米の収穫量(コシヒカリ)5トン/ha
・米のカロリー 3500kcal/kg
・日本人の必要カロリー 2600kcal/日
エタノール生産用の米の面積あたり収穫量 コシヒカリの1.7倍
これらの数字は出典によって様々なものがあるので鵜呑みにはしないでほしい。しかしこの数字だけで日本のカロリー自給率は130%となり、休耕田などを復活させ、労働者を大量に投入すればさらなる増産が可能になる。だから「耕地面積のすべてで稲作可能であり、米さえ食べていれば生きていける」という非現実的な仮定をしなくても日本人は餓死せずにすむのだ。


エネルギーはどうするんだ?
しかしこの緊急食糧増産計画には一つの穴がある。この計画を実行するためには農業機械を稼動させ、農産物を流通させるためのエネルギーが必要だということだ。しかし食料輸入が途絶するような状況ではエネルギー輸入も途絶している可能性が高い。
エネルギー問題が発生すれば、たとえ現時点でカロリー自給率が100%だったとしても、その農業インフラは絵に描いた餅に過ぎなくなる。農業機械は稼動せず、農薬も肥料も供給されない農地では作物の収穫量は半減し、生産された農産物は国民の口に届かない。そのような日本での人口の均衡点は5,6千万人くらいではないだろうか。そして均衡を超えた人口は残念ながら餓死するしかない。
この問題の単純な解決策はエネルギー自給率を向上させることだが、今の日本では物理的に不可能だ。メタンハイドレードなどの開発で多少は向上するだろうが、焼け石に水程度の供給しか期待できない。二百年後くらいならば核融合技術によって日本のエネルギー自給率は飛躍的に向上しているだろうが、ちょっとこれは今のところSFでしかない。
結局のところ、食糧問題はエネルギー問題に集約し、エネルギー問題は外交で他国に頼る形で解決するしかない。日本が独自に解決できる問題ではないのだ。


エネルギー輸入途絶のシチュエーション
外交問題はいくつものシチュエーションが考えられるのだが、大別すると二つになるだろう。エネルギー産出国から供給を断られる場合と、エネルギー輸入経路をどこかの国家に妨害されることだ。
エネルギー産出国から供給を断られた場合、その分量をどこか別のエネルギー産出国から供給してもらわなければならない。そのとき、世界市場には日本に供給されるはずだったエネルギーが過剰に供給されているはずだ。もちろんそのうちの一部は別のエネルギー需要国が買い占めるだろう。しかしそのすべてを日本以外の国が買い占めることは不可能である。ならばその過剰分を買い取った国から転売してもらうことである程度の供給は確保できる。残りは別のエネルギー生産国が増産してくれるのを待つしかない。そしてエネルギーの備蓄はその間の供給減少の補填に役立つことだろう。
問題は他のエネルギー産出国が日本のためにエネルギーの増産をしてくれるかどうかだ。このような状況で増産を要求するためには、その国が「日本が経済的に安定していることが自国の国益になる」と考えていなければならない。その国がその国での過剰資源を日本に購入してもらいたいと考え、日本からは高品質の工業製品を販売し続けてもらいたいと考えるならば、日本の経済的安定のために有限で貴重な地下資源を供給してくれることだろう。


国際関係ゲーム
潜在的なエネルギー供給国と親密な関係を維持していることこそが、日本のエネルギー安全保障に大きく役立つことが分かる。その関係を維持するために、日本は日常的にその国家と多額の貿易をしていなければならない。そしてその貿易の重要な品目の一つが食料だ。日本は餓死しないために、あえて食料自給率を下げてでも国際関係を親密なものに維持しなければならないのだ。
潜在的なエネルギー供給国とはもちろんアメリカ合衆国だ。アメリカ合衆国は世界で有数の産油国で、膨大な埋蔵量を現在も保持している。そして同時に日本に大量の食料を販売したいと考え、日本から高品質の工業製品を輸入できることを期待している。また世界中のエネルギー資源大国の中でもっとも誠実な国家であり、日本を世界一必要としてくれている国家だ。
これは対米従属の思想ではない。日本がアメリカ合衆国を頼りにできるのは、アメリカ合衆国が日本を頼りにしているからこそ可能なのだ。そしてアメリカ合衆国が日本を頼りにできるのは、日本がアメリカ合衆国を頼りにしているから可能なのだ。需要と供給という観点から、我々は対等なのだ。
もしも100%自給論者の言うとおりに日本が食料輸入を完全に絶った場合、アメリカ合衆国は日本をそこまで必要としてくれるだろうか。それは日本にとって明らかに亡国への道のりとなるだろう。


そんなに戦争が好きなのか?
エネルギー輸入途絶のもう一つのシチュエーションが、他国からの輸入経路妨害だ。
この問題も前述の問題の解決方法と同様に国際関係の向上が予防策となる。日本を妨害することよりも、日本が安定していることの利益のほうが大きいならば、その国家は良好な国際関係の維持を選択するだろう。
しかし日本のエネルギー輸入経路に影響を与えることができる位置に存在する国家は大量に存在しており、もしもその国家の一つが発狂して戦争の暴挙に訴える可能性は皆無というわけにはいかない。
発狂した国家には理性的な国際関係の利益を説いたところで聞き入れてくれないかもしれない。そうだとしたら日本は交渉ではなく、物理的手段で妨害を排除しなければならない。つまりは戦争だ。
戦争は不幸な出来事であり、経済的にも損失のほうが大きいことはいまや自明の理である。しかし戦争の回避は日本だけが独自にできることではない。いくら日本が戦争をしたくないといっても、発狂した国家には言葉は届かない。日本が事前にできることは戦争を吹っかけられても国家が滅亡しなくてすむように防衛力を整備しておくことだけだ。
もちろん戦争が勃発すること可能性は非常に小さいだろう。そして現在の日本の自衛隊の能力ならばほぼ確実に敵国の海軍力を殲滅し、エネルギー輸入経路を維持することができるだろう。しかし戦争の可能性はゼロにはならないし、自衛隊が偶然に大敗を喫する可能性もゼロではない。だが、100%自給論者の言うようにほとんどゼロの確率の事象にまでも対応しなければならないのだろうか。もしもそうならば、日本は国民の餓死という最悪の状況を回避するために極端な軍拡に走らなければならなくなる。そして極端な軍拡は近隣諸国との関係を悪化させ、本来目指すべき国際協調による食糧安全保障という目的を損なう結果になるだろう。


じゃあ食料自給率はどうするの?
僕はカロリーベースの食料自給率はもう少し低い数値であるほうが、食糧安全保障に関して良好な結果をもたらすだろうと考えている。ただし金額ベースでは現状から大きく低下させるべきではないと思う。勝手な予想で文責はとれないのだが、カロリーベースで25%、金額ベースで60%くらいが妥当なのではないかと思う。
つまりは貿易の維持で国際関係を向上させ、農業インフラの維持で最悪の事態に対処するという戦略だ。そしてそれは国内農産物の付加価値を高めるために、農家は収入が増えるし、国民はおいしい料理が食べられることを意味している。いいことずくめな戦略だ。
しかしこんなことを言うと、多分多くの人にお叱りをうけるだろう。叱られるのはあまり好きではないので困ってしまう。でも誰かが正論を言わなければならないので、あえて言挙げしてみた。これを読んだ皆様もこれを機にいろいろと考えを深めてください。