ゆずれないものの交渉 その1

序文とまとめ
交渉というものを経済学で解き明かそうとすると、いくつもの壁に突き当たります。もしも経済学がお金だけを扱うものだったとしたらこんな壁などあろうはずがありません。冷徹に計算を進め、交渉を行う前から結果が見えることになります。しかし経済学の世界にはラプラスの悪魔*1は存在していませんでした。
交渉を不確実なものにさせているのは何か。このような質問を受けた経済学者の多くは「それは情報の非対称性だ」と答えるでしょう。たしかにその通りです。しかし僕はここに別の答えを用意するべきだと思っています。僕は「それは人間の欲望だ」と答えるでしょう。
交渉とは何か。それはなにかを他者に要求することです。どのように要求すればその要求が実現するかを考えたときには情報は非常に重要な要素となるでしょう。しかし僕はもう少し根源の部分を見ています。「なぜそれを要求したいのか」を見なければ交渉というものの存在自体が成り立たなくなってしまうと考えているのです。そして「なぜしたいのか」の問いには「したいからしたいのだ」という答えしか返ってきようがありません。このように交渉の基礎にはどうしようもないくらいに曖昧で不可思議な「人間の欲望」があるために、そこから生まれてくる交渉もまた不確実なものとなってしまうのです。
そして交渉は二者以上の主体が行うものですが、要求を受け入れる側もまた「人間の欲望」に基いた行動を起こします。「なぜ要求を受け入れるのか」と聞かれると彼は「受け入れたいから受け入れるのだ」と答えるでしょう。交渉は本当に不確実でわけの分からない事象なのです。
しかし「わけがわからない」で放置していると科学は進歩しません。少しずつでもそこに顕在する法則を解明することで、いつかはもう少しわかりやすい世界が到来するのです。
今回は交渉を「なぜその要求を受け入れるのか」という側面からときほぐしました。しかしテーマが大きく、しかも切り口がけっこう斬新なために非常に長大な文章となってしまいました。そのために一日目の今日はまとめの文章から書き出すという本来とは逆の順番で始めることにします。


当事者全員が利益を得る交渉は特に難しいものではありません。商店での買い物などのように我々は思い悩むことなしに日々交渉を繰り返しています。しかし互いにゆずれないと思っているものを交渉するときには非常にタフなやりとりを要求されます。
「そんな不毛な交渉はしない」と言い切ってしまえれば楽なのですが、なかなかそうもいかないのが世界の実情です。不毛な交渉をしなければならないときでも、結果的にはなんらかの結果が出ます。なぜそのような結果になるのか。そこにはどのようなルールがあるのかを見ていくと、「このように要求された場合、受け入れなければならない」という社会の倫理があり、その倫理に従って要求が通されていることが分かります。
その倫理は時代によって変化しており、その変化には経済学的な理由が存在しています。倫理というものはとかく人間的なものと見られがちですが、そこには冷徹な経済学的合理性が潜んでいたのです。
そして議論は「なぜこのように倫理は変化したのか?」「現在の倫理はどのような経済学的合理性を持っているのか」と進んでいきます。「どのようにして倫理を他者におしつけるのか」を調べると「どのような倫理なら他者におしつけられるのか」を知ることができます。
理解を深めるためには原論だけでなくケーススタディーも併用するべきです。ここでは捕鯨問題とイラク問題をケースとしています。どちらもとてもタフな交渉です。前者では倫理によって交渉が成立し、後者では倫理以外の理由によって交渉が成立しています。


まとめのつもりでしたが、全然わけの分からない文章になりました。明日からの本文には冒頭にその日のまとめを書いていくようにします。


目次
ゆずれないものの交渉 その2
正義がないことは不正義ではない/魔法学校へようこそ/幸せは個人的な価値観だ
ゆずれないものの交渉 その3
思考停止しない倫理/市民だけが市民権を持っている/キライキライは大嫌い
ゆずれないものの交渉 その4
倫理戦争/無倫理主義者は存在しない/自由はキモチワルイ/犬はともかく猫は高貴な生き物だろ?
ゆずれないものの交渉 その5
本題は遅れてやってくる/地球は人類のモノだ/正義の変遷/僕は時々嘘をつく正直者です/アイムシリアス(I'm serious)
ゆずれないものの交渉 その6
計算された勇気/チキチキバンバン/造反有理
ゆずれないものの交渉 その7
空想の兵器/敵の敵の敵/数の暴力
ゆずれないものの交渉 その8
会議は踊り、いつのまにか去っていく/私のために争わないで/信念と死と

*1:説明するのがめんどくさいです。”ラプラスの悪魔”で検索をかけてみましょう。