直接知財の流通面での分類


すでに軽く触れているが、直接知財は流通形態によって二種類に分類される。
直接知財そのものだけが流通される直接直接知財と、直接知財を記録した工業製品が流通される間接直接知財である。
昔はこの二種類の直接知財は互いに対立する性質を多くもっていたが、技術の発達によって互いの長所を組み込むことが可能になってきている。そのひとつが直接直接知財の重要な特徴であった局所性である。直接直接知財は音、もしくは光などの五感で感じられるものでしか伝達できなかったため、伝達範囲は非常に近距離に限られていた。その中ではのろしがもっとも遠距離に伝達できる技術であったが、通常では十キロ程度、最長でも数十キロの範囲でしか直接知財を伝達(つまりは流通)させることができなかった。それに対し間接直接知財(たとえば手紙)ならば時間はかかるだろうが地球の裏側まで流通させることができた。しかし電信技術が発達すると直接直接知財はその欠点を克服し、現在我々が体験しているように地球の裏側はおろか太陽系の果てまで*1流通させることが可能になっている。
直接直接知財の代表はテレビ放送である。放送局から放送される内容、つまり直接知財が電波という形で送信され、アンテナを使ってそれを受信した視聴者がテレビ受像機という機械で電波を映像と音声に変換して内容を視聴する。ここで流通されているものは情報そのものだけである。
直接知財の特徴としては即時性・保存不可能性・局所性・同時多発性が挙げられる。即時性とは、情報が発信されたらすぐに受信しなければならないということだ。物質に固定されていない情報は受信されなければ雲散霧消してしまう。同時多発性は、送信者は一人でも、受信者は複数存在できるということである。
間接直接知財の代表は本である。情報は一度第二次産品の内部に格納されて流通されるが、第四次産品の部分は第四次産品として消費される。保存性や大量生産性に優れていたが、つまるところ直接直接知財の古い特徴の裏返しである。現在でも放送を除けば直接知財の大量流通の主流を担っている。
間接直接知財は工業製品であるため、物質に依存しない直接直接知財のほうが原理的にはコストが低くできるはずである。それなのになぜ間接直接知財は直接知財の主流なのだろうか。
・直接直接知財の大量流通網(TV放送システム・インターネット)のインフラの構築には少なからぬ投資が必要である。それが全国民に普及するには今しばらくの時間が必要である。
・工業製品流通網は十分に完成・整備されており、これからも工業製品の流通は続けられる。そのため間接直接知財を流通させるための追加コストは小さい。
・大量流通網による直接直接知財の流通には無断複製・流通という問題がある。間接直接知財の場合、物質であるためこれらの対策を採りやすい。つまり実効支配可能性が高いのだ。
特に3番目の理由はこれからも間接直接知財の大量生産が続けられることを示している。逆に言えば、社会の効率化のために直接知財を間接流通から直接流通に切り替えていくためには、直接直接知財の実効支配可能性を高めていく必要がある。
しかし、流通元の実効支配可能性を高くすると、その分流通先の実効支配可能性が低くなる傾向にある。一例を挙げよう。現在、ビデオ作品をインターネット経由で見ることができるサービスがある。ここでは、視聴の度に流通元からライセンス認証を受け、その認証が通れば、データが送信されて作品を見ることができるが、そのデータは流通先で保存することができないようになっている。ライセンス期間の短さとあいまって、DVDでの流通と比べると数十分の一の価格である。しかし、流通元が何らかの理由で流通を止めてしまうと、その作品を見ることは不可能になる。もし消費者がDVDの形でこのビデオ作品を入手していたならばこういった事態は起こらないだろう。
こういった仕組みを整備することは、物価を引き下げながら正当な権利者に利益を還元し、ひいては産業の正常な発展を促すことになる。もちろん実効支配可能性を引き下げるのではなく、刑罰の強化で対応することも同様の効果を期待できる。しかしその場合、巧妙な違法組織が地下経済を潤すことになるだろう。また、きちんとした鍵をかけていないことは犯罪を誘発し、不必要に犯罪者を増やすことにもなる。
だが流通元の実効支配可能性を高めることには非常に危険な側面があることを忘れてはならない。これは言論の自由をおびやかす要因になる。流通の途中経路でも流通をせき止めることができることになるからだ*2
さらに流通元が情報を支配できることが問題になることも考えられる。例えば政府が官報をインターネットのみで発行することを考えてみよう。この官報が先述のような方式で情報元である政府に実効支配されていた場合、官報の内容を確認するには、その都度政府の支配している情報を見に行かなければならない。その情報がいつのまにか変更されていたとしても、その変更の物的証拠はすでに得ることができなくなってしまっている。「1984年」*3の世界の到来だ。
これは現実に起きつつある危機だ。幸いなことに情報の改竄を試みているのは日本政府ではない。一部の報道機関*4だ。その新聞社は誤報をこっそりと修正している。もちろん誤報は修正されるべきなのだが、きっちりと誤報であるとの報道が必要だ。そうでなければ誤報を信じてしまった者がその誤謬を訂正できないし、場合によっては損害をこうむることもあるだろう。幸いにこれまでのインターネットによる報道の改竄に関しては、実効支配可能性を高めた情報でなかったため、証拠能力は弱くても一応の証拠は残り、人口に膾炙することになった。しかし、これが政府によるものであったとしたらとぞっとする事件だ。いや、不正を追求すべき報道機関による作業だというあたりはさらに悪質なのかもしれないが、他にも代替できる報道機関はたくさんあるのだから、この報道期間を信用しなければいいだけの話かもしれない。
つまり、直接直接知財は物的証拠能力の弱さを抱えている。これは現代のネット社会に固有の問題ではない。「藪の中」(芥川龍之介著)という小説にあるように直接直接知財の根源的な欠点だ。
だからといって直接直接知財の流通を不必要に制限することは産業の発展を阻害し、ひいては産業社会全体の発展を阻害する。欠点があるのならば、それをカバーする仕組みを作ればいいのだ。ここからは僕の提案になるが、実効支配可能性強化情報は国などの第三者機関に情報の登録を義務付けるべきではないだろうか。プライバシーの問題などクリアーしなければならない課題は多いが、こういった規制がなければ恐ろしくて直接直接知財を利用できなくなる。
少し話が離れてしまったが間接直接知財の特徴を眺めてみよう。
間接直接知財は物質に依存するため、直接直接知財と比べて流通元・流通先双方での実効支配可能性が高くなっている。もっとも物質特有の経時変化は避けられないが、物質が変化する前に情報を複製保存することで、間接直接知財の本質的な効用の源となっている部分(つまり直接知財)は消失の危険から逃れられる。
流通元の実効支配可能性であるが、これは通常の財と同様に代価の支払契約の締結とともに商品を引き渡すことができることで保障されている。購入予定者は事前に内容の確認をすることはできるが、実物を手に入れなければ本格的な利用はできない。
また間接直接知財は物質を使用していることで、違法複製物と正規品との峻別が容易であることも、通常の財と同様に実効支配可能性の高さを保障している。しかし流通先での情報の無断複製流通という問題に関しては、法律の保護がなければ阻害することはできない。法規制がない社会では間接直接知財もまた産業の正常な発展が阻まれるのである。たびたびで悪いが中華人民共和国はこの点を真剣に検討していただきたいものである。
流通先での実効支配可能性は通常の財と同様に高い。さらに著作権法で私的複製は認められているため、通常の財よりも実効支配可能性は高いと言えるだろう。
間接直接知財の利点は、世界中のどこでも誰でもその財を入手・利用できることだろう。直接直接知財では流通元と流通先が何らかの手段で結合される必要があり、その時点で流通元が流通の可否を行う流通支配が行われるが、間接直接知財では流通支配は非常に困難である。
この特性により、例えば駅の売店で買った新聞がその場で読むことができ、税関さえ通ればその新聞の発行が禁止されている国でも手に入れることができる。ロケットに乗せて別の天体に送り込むことだって現在の技術で十分に可能だ。この特性がなければたった百年前の歴史ですら、我々は(割合)正確に知ることはできなかっただろう。

*1:驚いたことにNASAボイジャー1号との通信を現在でも行っているらしい。およそ100天文単位、150億キロメートル、0.001光年である。そのあたりが太陽系(太陽圏:Heliosphere)の端であるらしい。というか端であることがボイジャー1号によって確認されたらしい。

*2:中国では中国共産党にとって不都合な言論が流通されないようにするために、インターネットに規制をかけている。具体的には共産党が禁じたサーバーのIPアドレスとの通信を拒絶するようにすることだ。これはインターネットが基本的に有線でつながれていることにより可能になっている。

*3:ジョージ・オーウェル著「1984年」ソ連共産党の不気味な言論統制にアイデアを得たSF小説。1984年は現在から見ると過去の年ではあるが、この小説は1948年に執筆された。

*4:いわずと知れた朝日新聞が一番悪質である。ただ、どこの新聞社もより正確な報道を目指すという大義名分で記事の改竄を日常的に行っている。