間接知財とは

間接知財は少しとっつきの悪い概念である。
間接知財は基本的に目に見える形では存在していない。多くの間接知財が直接知財に変換され複製・保存・流通が行われているが、それでもそうやって変換されているものは間接知財のごく一部分に過ぎない。また、間接知財を直接知財に変換する際にも直接知財の表現手段が非常に限定的である*1ために完全に翻訳できることはほとんどない*2
どうしても直接知財に変換できない間接知財は、その間接知財を利用したいと考える主体が独自に主体内で間接知財を生産し利用するしかない。そして多くの間接知財はそれを所有している主体が消滅するときに(自然人の死亡や組織の解散)同時に消滅して永遠に失われてしまうことになる。
このように間接知財の伝承に大きなコストがかかることや、多くの間接知財が消滅していっている現状は社会の損失であると言うことができる。この損失の社会的な許容の理由としては、一つ目にはもちろん、どうやっても避けようがないからあきらめているという実もふたもない理由だ。しかし技術の発達によって今までは伝承できなかった間接知財を直接知財化できる*3ようになっている。
二つ目は、伝承のコストを支払うよりも各主体がそれぞれで生産するほうが効率がいい場合だ。たとえば新入社員研修で、往来の真ん中で大声で歌を歌わせるというものがある。「無駄な羞恥心を取り払うことや勇気を持つことが仕事をする際の度胸の源になる」という間接知財を各新入社員に生産させているのだ。こんな破廉恥な研修をさせる代わりに、この間接知財を論理的に説明したり、先輩の体験談を聞かせることで伝承は可能なのだが、本当に伝わるかどうか分からない百万言よりも、一人当たり三分の放歌で新しく生産させるほうが早いし確実だ*4
三つ目は時代や環境が変化したことで価値をなくした間接知財自然淘汰できることだ。人の能力は有限であり、所有できる間接知財の量はおのずと限られる。不必要な間接知財を大量に学習することよりも、必要な間接知財をその都度生産するほうが効率がいいことが多い。
間接知財はその流通困難性から、多くの亜種を生み出している。極論すれば間接知財は人間の心の中にしか存在しないものだから、個々人の心がそれぞれ微妙に違う限り、同一の間接知財は存在しないとも言える。そこまで言わなくても間接知財を使用する際の環境が違うならば、それに合わせて間接知財を適合させる必要が出てくるためだ。
とっつきの悪さの次の理由が、間接知財が人間や社会の行動のほとんどすべてに関係しているということだろう。
一番分かりやすい使用例は工業製品を作るときのノウハウとしての間接知財だろう。工業製品は目に見えるものだし、それの価値も実感しやすい。そしてさらに改良された工業製品を見れば、間接知財が工業製品の価値に及ぼす影響も実感できるだろう。
逆に社会システムとしての間接知財はその存在を意識しづらい。実物としての実体がないし、その間接知財が(直接知財に変換されて)金銭的な対価をもって取引されることが少ないからだ。
システムとしての間接知財の中で分かりやすい例がTQC(総合品質管理)だろう。これは「生産ラインを分割して管理し、その各部分で統計的に品質管理をすることにより、最終的な製品の品質を向上させる」システムだ。この間接知財を利用した工場は、そうでなかったときと比べると製品の歩留まり率が劇的に変化する。このように目には見えなくても、物質そのものに直接影響しなくても、間接知財は社会の効用を高めている。
逆にシステムとしての間接知財で分かりにくい例が「冷戦ドクトリン」だ。これは「世界を東西陣営に分割し、軍事以外の分野でも倒すべき敵として行動する」というシステムだが、この基本システムに基いて、たとえば「ココムドクトリン」「MADドクトリン*5」などの間接知財が作り実行され、最終的にソ連を打倒することに成功した。このようにシステムとしての間接知財は何段階にも分けて使用される場合もある。
理念としての間接知財もまたわかりにくい。たとえば「人を殺してはいけない」という理念だが、この理念は常に使用されていると見るべきか、人を殺したいと考えたときに思いとどまるために実行されると見るべきかよく分からない。僕は後者の立場をとりたいのだが、逆の見方も存在するだろう。なんにせよこの理念は社会の大多数の人間が保有することによって目に見える効果が発揮されている。使用されている場面が目に見えないからといってこの間接知財が社会の効用の増加に役立っていることは否定できないだろう。
こうして間接知財を概観してみると、組込間接知財・システム間接知財・理念間接知財という分類ができるのかもしれないと感じてきた。しかしまだこの分類はあやふやな部分が残っており*6、それ以外に分類されるべき間接知財もあるかもしれないために、正式に分類することは保留しておく。

*1:機械の操作方法という間接知財を直接知財に変換したものに操作マニュアル(間接直接知財)がある。しかしマニュアルを読んだだけでは実際に操作するのは困難だ。使い方を知っている人に教えてもらったり(直接直接知財)して、さらに自分で何度も試運転をしてようやく間接知財を自分のものにすることができる。そういった社会的な非効率を回避するために、教え方のノウハウやビデオマニュアルの活用など、間接知財を直接知財に変換するときの効率を高める努力がなされている。

*2:数学など、間接知財を完璧に直接知財に変換することに成功しているものもある。

*3:テープレコーダーの発明により、少数民族の言語を保存することができるようになり、実際ユニセフが行っている。。その言語を話すことができる人間がいなくなったとしても、その記録を利用することにより言語を復活させることが可能になっている。

*4:もちろんこのやり方でも正しく生産されるかどうかは不確実だ。それよりもあれは企業イメージを引き下げるというコストが発生するのでやめたほうがいいと思う。

*5:核兵器による相互確証破壊(Mutual Assured Destruction)ドクトリン」敵国が自国の都市に対して核兵器を使用した場合、自動的に敵国の都市を各攻撃すると宣言し、実際に行動できるように準備をすること。つまりは相手の都市に核攻撃をすると自国の都市も確実に破壊されることになる。これにより両国とも先制核攻撃ができなくなってしまう。文字通り狂気の戦略だが、このドクトリンの存在により長崎以降、人間を目標とした核爆発が起きなかったことも事実である。

*6:特にシステム間接知財と理念間接知財の分類が曖昧である。例に挙げた「冷戦ドクトリン」は見方によっては理念間接知財に分類できるだろう。