間接知財の所有面からの分類

間接知財は非常に目に見えにくい資産である。直接知財と違って、誰がどんな間接知財を持っているか、それどころか自分がどのような間接知財を所有しているかすら完全には把握できない。いや、ほとんど把握できないと言ってもいいくらいだ。
この問題は第四次産業を振興するという目的を大きく阻害する。自分の所有している資産さえ計算できないのならば産業統計など夢のまた夢だ。しかし簡単に挫折してはいけない。少しずつでも、できるところだけでも、間接知財の資産状況を調査していかなければならない。そのためには間接知財の性質を、そしてなぜ資産把握ができないかという理由を探っていく必要がある。
間接知財はおおまかに三種類に分類できる。社会全体に広く所有されていて財としての取引価値が低い常識間接知財。特許などのように広く知られているが使用が制限されている特許間接知財。特許のように法的な保護を受けていないが、公開されていないために使用者が制限されている専有間接知財。このなかで特許間接知財は法的保護期間が切れたときに、専有間接知財は少しずつ情報が漏れていくことにより、常識間接知財へと変化する。場合によっては常識間接知財がいつのまにか多くの人から忘れ去られて専有間接知財に変化したり、特許法の運用によって常識間接知財や専有間接知財が特許間接知財に変化することもある。
この三者の中で、常識間接知財の所有量は群を抜いて膨大である。常識間接知財は人類の数千年の蓄積であり、これが知財であるという認識すらされていないような知財に満ち溢れている。しかし企業活動は必然的に競争を強いられており、競争で勝ち抜く決め手は特許間接知財や専有間接知財というライバルが利用できない間接知財となる。また、当然のことではあるが常識間接知財の組み合わせが特許間接知財や専有間接知財となることも多い。
常識間接知財は、取引される財としては無価値であるが、社会が生産する価値の大部分を生み出している。
少し話はずれるが、現代に住む我々は石器時代の人類と比べると天文学的なほどの財を消費している。年収二百万円の負け組呼ばわりされてしまう若者ですら、昔の王侯貴族よりも豊かな生活を送っている。それなのに生活が苦しく感じるのは、その豊かな生活を維持するためのコストが膨大なものになっているからである。そしてその膨大な価値の大部分が取引価値がゼロの常識間接知財によって生み出されているため、会計上はたいした金額にはなっていないように見えるだけなのだ。
消費している財だけではない。我々が個人で所有している常識間接知財も膨大なものであり、高卒程度の知識でさえ、千年前の学者のレベルを遥かに凌駕している。もう少し身近な例で言うとコンピューターを操作する能力(間接知財)だ。20年前、コンピューターを使いこなしている人間は超エリートだと見なされた。ワープロ表計算ソフトが使えるだけで最先端のビジネスマンとして賞賛され、今の目で見ると非常に原始的なソフトウェアが作れるだけで年収一千万円が実現できた。しかし今やワープロ表計算ソフトもほとんど常識レベルである。ファミコンよりもはるかに高度なゲームソフトが無料で流通している。常識間接知財の所有は必ずしも他者を圧倒する力にはならないが、常識間接知財を持たないことは競争での確実な敗北を意味することになる。
これほどに重要な常識間接知財であるが、逆に社会に蓄積された常識間接知財が膨大になりすぎたために、個人レベルですべての常識間接知財を所有することは完全に不可能になってしまった*1。そのため教育では知識を詰め込むことよりも、新しい知識を即座に吸収できる処理能力を高めることが求められている*2。そして人々は、自分に必要な常識間接知財をその場に応じて新しく吸収して使用しなければならない。つまり生涯学習が切実に求められているのだ。
このような状況において企業が労働者を採用するときの判断基準としては、学歴はもはや紙切れ程度の価値しか持たなくなる。しかしこの論点は説明し始めると長いので、別の章で分析することにしよう。
特許間接知財は常識間接知財と同様で、誰しもが所有している可能性がある間接知財だが、使用する権利は特定の主体しか有していない。この権利は行政などの公的機関に登録することによって執行可能になる。登録するためには間接知財を直接知財に変換する必要があり、
特許間接知財の総量は、常識間接知財や専有間接知財と比較すると非常に少ない。登録にはコストがかかることが原因だ。登録する側はもちろん、受け付ける側もまたコスト問題を抱えている。どんな種類の間接知財でも新規性を持ってさえいれば登録できるのならば、膨大な種類の間接知財を受け付けなくてはならなくなり、登録に必要な分類という行為が不可能になってしまう。そのため、数種類の間接知財のみを登録受付可能とするしかない*3
また、登録するために直接知財化した時点で大幅に情報量が削り落とされていることも、総量が減る大きな要因だ。これは直接知財化するときには必ず情報が劣化するという原則だけが理由ではない。登録した主体がわざと情報を劣化させ、正確な情報は専有間接知財のままにしておくこと*4で、実効支配可能性を高める自己防衛を行っていることも大きな要因だ。しかし登録時の情報の劣化は逆に、登録された情報の適用範囲を広くすることにも使われる*5。さらにわざと適用範囲を非常に曖昧な表現で示すことにより、同じ効用を持った別の間接知財をも適用範囲とし、法律上の保護を求める場合もある。この場合は特許間接知財の量が増えるわけだが、こういった適用範囲のむやみな拡大は、他の間接知財生産者の活動を大きく妨げるために社会的損失に繋がることも予想される。
専有間接知財は、ある主体しか所有していない間接知財だ。直接知財の場合は、その内容を他者に知らせることなく取引することは論理的に矛盾していた。しかし間接知財の場合は間接知財を利用して生産された財を取引するため、取引相手には使用した間接知財の内容を知られることなく間接知財から金銭を引き出すことができる。特許間接知財は法律という強制力で排他的な使用を確立したが、専有間接知財はいわば自力救済で排他的な使用を可能にしている。
しかし間接知財の一般的性質として、同一の間接知財を他者が独自に開発して所有することを止められないため、永久に専有し続けることはできない。また、専有間接知財を所有しているのが法人だった場合、法人内部の自然人が専有間接知財を共有したあと、その法人から離脱した場合、専有間接知財の外部流出が発生することになる。このように専有間接知財は少しずつその専有度を減じていき、最終的には常識間接知財へと変身することになる。
逆に常識間接知財が専有間接知財に変化してしまう場合もある。常識間接知財が膨大であるために、すべての人がすべての常識間接知財を所有することはできない。逆に言えば、大部分の常識間接知財の所有者は少数の人間に限られてしまうのだ。たとえば僕は経済学のゲーム理論をかなり詳しく知っているが、世の中にはゲーム理論という言葉すら知らない人は多数存在する。そんな状況の中で僕がある企業の営業マンだったとしたら、僕はゲーム理論を駆使して有利に取引を進めることができるだろう。ゲーム理論自体は常識間接知財だが、僕はそれをまるで専有間接知財であるかのように使用していることになる。また歴史の波に飲まれて完全に消失してしまった常識間接知財を、発掘などして手に入れた主体はそれを完全に専有間接知財として所有することができる。
また、ある間接知財を所有している主体が、その間接知財は常識間接知財だろうと考えていたにもかかわらず、その主体しか所有していない専有間接知財だったということもありうる。これもまた僕を例に挙げるのだが、僕は「このブログに書いている第四次産業の概念」は常識間接知財だと勝手に考えていたのだが、どうもこれは専有間接知財であるようだ。この例の面白いところは、通常ならば専有間接知財は専有したまま利用することが主体の利益になるのだが、僕はこれを常識間接知財にすることで効用を得ようと考えているところだ。この僕の効用を得るプロセスにももちろん理論が存在するので、それはまた別の機会に解説しよう。

*1:一千年前の小国ならば、国家に存在する文献を読破することは必ずしも不可能ではなかった。しかし現在は流通している文献の0.1%を読破することでさえほぼ不可能だろう。

*2:求められているということと実現できているということは違う。教育の現場ではあいもかわらず知識の詰め込み教育が行われているようだ。

*3:LとRの発音を聞き分けられるように訓練するために、「ラ゜リ゜ル゜レ゜ロ゜」と「ラリルレロ」のようにLの音に半濁音をつけて表現するという間接知財の普及を僕は主張している。"light"を「ラ゜イト」、"right"を「ライト」と書くようにすれば、「バ(BA)」と「ヴァ(VA)」が聞き分けられるようになったように、LとRも日本人の脳内で区別できるようになると考えているのだ。しかしこの間接知財に新規性があったとしても(多分似たようなことを考えている人は他にもいると思う)、特許として登録することは不可能だ。

*4:たとえば、導線の太さを23μにするのがその技術の最適条件にもかかわらず「1μから100μの間の太さの導線で」といった表現で登録することは普通に行われている。

*5:上の例で行くと、同じ技術を他の分野に適用した場合は75μが最適かもしれない。そういった応用範囲を一度に登録することはコストの低減に役立つ。