人類の曙


第四次産業は、四番目に発見された産業形態であるため、第四という名前がつけられているが、産業の機序から見ると第一次産業の亜種もしくは第0次産業と呼ぶべきものである。そして第四次産業は人類の草創期から人類の活動と共にあった。決してコンピューターの発明と共に人類の傍に来たわけではない。
第四次産業は産業の根幹であり、人類の草創期から、人類にとって非常に重要なものであった。そのため、歴史の中に現れる第四次産業を見ることで第四次産業の根本が浮き上がってくるだろう。


最初期の人類の技術といえば、石器・農耕が挙げられる。
特に石器は人類というよりは原人の時代から始まる由緒正しき人類の道具である。石器には打製石器磨製石器があるが、ここでは打製石器を中心に観察していきたい。打製石器には多くの製法があり、磨製石器もその製法のひとつの変種だと考えてもいいからだ。実際、磨製石器の出現で打製石器の使用が駆逐されたわけでなく、打製石器は金属器が十分に普及するまで製造使用されてきたからだ。
打製石器の製法は磨製石器よりも若干複雑であるが、石器作成のための労働力は磨製石器よりも少なくて済む。ただし、原料となる鉱石の種類と産地が限られていることが難点である。特に優れた鉱石は日本では黒曜石と呼ばれる火山性の天然ガラス鉱石であり、ヨーロッパではフリント(火打石)であった。二流品ですら種類は限られ、日本ではサヌカイトと呼ばれる堆積岩の一種が瀬戸内海一帯で産出されている。黒曜石とサヌカイトを比べると、加工のしやすさと刃の鋭さで大きく黒曜石に利点がある。
小学生のとき、自分でもこの黒曜石石器を作ってみたいと考え、山に黒曜石を探しに行ったことがある。原始人*1でも見つけられるものである。鉱石は地上に露出していて簡単に見つけられるはずだと考えたのだ。しかし発見できなかった。砂金のように採り尽くされたのかと思ったのだが、当時の人口密度から考えてもありえる話ではなかった。黒曜石は日本では北九州・長野・北海道でしか産出しないものだったのだ*2
しかしここで舞台をヨーロッパのフランス近辺に移したい。打製石器の発明とその技術の伝播について語るためには、最初の(かどうかは分からないが)本格的な打製石器の使用者であるネアンデルタール人に登場してもらわなければならないからだ。
打製石器の最初の発明の場面を想像することはたやすい。偶然に割れた石の断面を利用することから始まったはずだ。人類最初の石器はおそらくフリントではなかったであろう。しかし、次第に石器の加工度は増していった。手斧と呼ばれる一番簡単な石器を作るためには、容易に薄く割ることのできる鉱石が必要になり、試行錯誤の結果フリントでなければうまく作れないことが分かってきた。
あるとき、フリントの産地で成人となった一人のネアンデルタール人の天才がいた。彼は持ち前の器用な手先で*3、フリントを薄く整形して刃と握り*4を作り上げた。彼の作った手斧は非常に便利な道具であり、しとめた動物を解体するのも、果物を枝からもぎ取るのも、今までの数分の一の時間でこなせることが分かった。彼の発明品は集落の成員に理解されたことだろう。村人たちは見よう見まねで*5手斧を作成し、その技術は彼の村での伝統となった。
問題はこの打製石器が他の地域に広まった過程である。
もちろん原始時代においても貿易は存在した。友好の印として贈り物を贈りあうという形から発展して物々交換になっていったと思われるが、交易の発明と手斧の発明とどちらが先だったかというと、交易のほうが先だったのではないかと、証拠はないのだが僕は考えている。
どちらにせよ手斧は取引された。最初は完成品が取引されたことだろう。それがさらにその先の、フリントを産出しない地域にまで完成品が流れていった。しかし、この取引にはいくつかの重大な問題があった。
まずは剥き身の刃物を輸送する困難である。当然鞘はまだ発明されていない。輸送中の振動で梱包材は擦り切れるし、刃先も刃こぼれする。
また、輸出先で使用されるときにも刃こぼれは重大な問題だった。もちろん刃を作り上げる技術があれば刃先を研ぎなおす(削りなおす)ことはできる。しかしその技術が存在するのは100キロ先の集落の中である。
そして技術の貿易が始まった。技術への対価は支払われたのかどうかは分からないが、多分その概念は存在しなかっただろう。しかし、最初の村に住み込みで技術を学びに来たネアンデルタール人は修行の合間に集落のいろいろな作業を手伝ったに違いないし、住み込みで派遣されること自体が派遣した集落にとってはその期間の労働力の低下という対価を支払うことと同義であった。
こうして技術の移転が進むと石器の貿易にも変化が現れた。最初は完成品を輸送していたのが、刃入れをしていない半製品の貿易に変化したのだ*6。これにより輸送コストは大きく低減し、100キロ以上遠くの集落にまで輸出されていたことが石器の原産地分析で判明している。
さらに大きな変化がおきた。最初の石器では良質なフリントしかもちられていなかったのが、低品質のフリント*7で石器が作られるようになり、フリント以外の鉱石からも石器が作られるようになったのだ。この技術革新は最初の村でおきたのではなかった。多分かなり離れた村で起きたのだろう。必要は発明の母という原則はネアンデルタール人の時代からあったのだ。
こうして各地で各地なりの鉱石を使って石器が作られるようになってもなお、最高品質のフリント製の石器は輸出され続けた。刃の鋭さ、研ぎ直しやすさ、石器の最大サイズで差があったからだ。ネアンデルタール人はブランドの価値を理解していたのだ。


農耕の起源は、採集してきた野生の麦の一部が集落の近くに落ちて、そこで自生したことだと言われている。残念ながら証拠はないのだが、かなり事実に近いだろうと思われる。日照りで弱った麦が雨が降った後に元気になることを見て灌漑の必要性が知られ、季節によって麦の生長に著しい変化が起きることで一年サイクルの農業暦が編み出された。
農耕の始まりは一万から二万年前らしい。この時代にはすでに人類はホモサピエンスのみになっていた。知能的にはほとんどホモサピエンスと同等であったクロマニヨン人は結局、農耕を行うことはできなかった。クロマニヨン人ホモサピエンスの能力の大きな違いはあごの骨格による発音能力である。これによってホモサピエンスのみが効果的な言語を発達させることができた。ということは言語こそが農耕の必要条件だったのだろうか。
僕の勝手な推測であるが、農耕を行ったクロマニヨン人は存在していたと思う。脳の性能自体はこの種族間でそれほど大きな差はない。我々ホモサピエンスの大人と子供の差よりも小さいであろう。もしかしたらクロマニヨン人のほうがホモサピエンスよりも解剖学的には知能が高かったのではないかと考える考古学者もいる。ホモサピエンスネアンデルタール人に天才が存在したことと同様にクロマニヨン人に天才がいたことは不思議なことではない。
複雑な打製石器を作ることよりも植物に水遣りをすることのほうが遥かに脳の能力を必要としない行為だと僕は感じている。しかし、この感覚は僕の錯覚かもしれない。僕は石器を作ったことがなく、逆に植物に水をやったことはある。だから水遣りのほうが簡単に感じるのかもしれない。もしも僕が植物には水が必要だという知識を持っていなかったとしたら、枯れかけた花に水をやることを思いつくだろうか。水や肥料をやりすぎると逆に枯れることもある。その因果関係に気づくことができるだろうか。枝や葉にではなく根に水をやらなければならないということはさらに高度な知識を必要とする。
新しい発明を行うことよりも、誰かに教えてもらうことのほうが遥かに脳の能力を必要としない。毎日規定量の水を植物に与えることのほうが、目に見えない石の目を想像しながら微妙な力加減でフリントを削ることよりも、遥かに容易で誰にでもできることだ。しかし言語を使わずにその作業内容を伝えることはできるのだろうか。
また、言語は長期的な記憶と論理的思考を発達させることが知られている。さらに読み書きの訓練を受けた者はそうでない者に比べ、後天的な知能の発達度合いが大きく違ってくる。200年前のアメリカ大陸の黒人奴隷たちは支配者である白人たちと比べて知能的に大きく劣る者が多数だった。白人側の偏見も加えての意見だろうが、黒人は遺伝的に知能が低いと公的に考えられていた。しかし、公民権運動を経て高等教育を受けた黒人が社会の前線に出てきたとき、白人も黒人も、もちろん黄色人種も知能に関しては個人差のほうが断然に大きくて人種間の差などあるかないか判別できないということが分かった*8
ホモサピエンスが得た、多彩な言語を操ることができるという遺伝的な能力こそが、農耕に必要な年単位の試行錯誤を可能にし、それを子孫に理解させることを可能にした。クロマニヨン人の天才が生み出したかもしれない農耕技術は、この遺伝的ハンデによってせいぜい一世代か二世代で失われてしまったと僕は考えている。
 しかし、読み書きという技術が編み出されていない時代において、この農耕技術を他の村落に伝えることはほとんど不可能だったのではないか。石器の製造方法はせいぜい一年で習得が可能だっただろうが、農耕は確実に数年単位の習得期間が必要になる。長生きしても40年くらいが限度だった時代にである。隣村にすむ人類はそれだけの投資の必要性を理解できなかったであろう。
そのため、農耕技術は村落の株分けによって少しずつ広まった。農耕の生産性は狩猟採集文明の数十倍である*9。村落を株分けするための人口はいくらでも生産できたし、余剰人口のはけ口は必要であった。新しい土地に進出した農耕人類は、その土地に住み着いていた狩猟採集人類と生活圏をかけて争いも起こしたことであろう。しかし、もともと同じ人類であるから体格は同じであるし、武器となる道具も同じ技術で作られた石器類である。そうなれば人口の多いほうが最終的な勝利を収めるのは自明の理だ。たとえ、一度や二度負けたところで、何度でも戦いを挑むための人口は続々と生産されてくるのだ。
日本において、縄文民族と弥生民族で顔の特徴が大きく違うことは、弥生民族が株分けで弥生文明を広めたことから来ているのだろう。もちろん縄文民族との混血も行われただろうが、弥生民族は次から次へと供給されてくるのだ。そのために縄文民族の遺伝子は薄まってしまい、のっぺりとした埴輪のような顔をした弥生民族が日本列島を席巻することとなった。
このように幾何級数的に増えた農耕民族は地域を埋め尽くし、同じルーツを持った言語が地域を支配することとなった。そして文字が発明され、農耕技術はさらに洗練されることになり、文明が生まれた。その社会はもはや原始時代ではなくなっていた。


我々ホモサピエンスと動物の違いは、道具と言語であると言われている。道具は間接知財の媒体となり、言語は直接知財の媒体となる。また道具や言語は社会を作るための求心力となる。そして社会は常識間接知財の媒体となった。
まだこの時代には直接知財は社会に大きな影響を与えていないが、間接知財の生産・使用・流通に関しては原則的に現代と大きく変わらないシステムが構築されていることに気づいていただけたと思う。
石斧の製造法という間接知財ネアンデルタール人の生活を大きく変えた。今までのありあわせの道具を使っていた生活にはもう戻れない。彼らは知恵というものの価値を強く認識したことであろう。そしてそのすばらしい間接知財は石斧という商品に組み込まれた状態で流通を開始する。
次に起きるのが間接知財そのもの(もちろん直接知財化して)の伝達である。ネアンデルタール人の解剖学的な言語能力から見ると、かなり原始的な直接知財の流通であっただろうが、打製石器の製作法という間接知財は直接直接知財として、世代や地域を越えて流通した。また、他人の作った石器を見て真似をするといった、石器が間接直接知財としての役割も果たしたであろう。
その次に間接知財の改良である。最初は手斧しか作れなかったが、石刀、石鏃、石槍と新しい製品が作られていった。また流通に関しても最初は製品の輸出だったのが、半製品の輸出へと改良され、流通の生産性を上げている。
そして同一の間接知財を別の主体が生産するという現象だ。フリントの代替品である二流鉱石を使用した石器はフリントと比べて商品力において劣るため、比較的小さな地域でしか流通しなかった。しかし、そこから遠く離れた地域でもフリント以外の鉱石で打製石器を作る需要は存在し、彼らは独自でフリントの代替鉱石を探したのだ。その結果、まったく同じ間接知財が別々に生産されるという教科書的な現象*10がすでに原始時代において発生していたのだ。


石器や土器の製造技術は、地域一帯の常識間接知財となることができたが、農耕は常識間接知財になることはできなかった。農耕技術という複雑な間接知財を常識化させるためには、直接知財の流通技術の改良(文字の発明)が必要であったためだ。直接知財の流通技術が低いために農耕技術は非常に時間をかけなければ他人に伝えることはできず、その被教育時間を有していたのは同じ村落に住む子供たちだけであった。
周辺に住む他の村落に住む民族が新技術を常識間接知財化する速度よりも、すでに常識間接知財を有した民族がその地域を開発するほうが早いという状況は、現代の第三世界の工業化の進展状況に酷似している。先進国の田舎に新しい工場を建てるほうが、第三世界の都市に工場を建てるよりも簡単なのだ。そして第三世界の都市に工場を建てるためにも、先進国で常識間接知財を身につけた人間がメインとなって工場を運営しなければならない。
また、新しい複雑な間接知財を習得するためには、それを理解するための常識間接知財の蓄積が必要となる。周辺地域で統一された言語*11という常識間接知財は農耕以外の間接知財の普及にも大きな役割を果たした。農耕文化が直接に文明の発展を促したと考えるよりも、農耕技術によって同一言語文化の集団の人口が増大したことが文明の発展を促したと考えられる。そして常識間接知財の蓄積が生産性を向上させ、さらなる常識間接知財の蓄積に役立つという良循環が確立された。つまり、もはや原始時代ではなくなったのだ。

*1:縄文人はもはや原始人と呼ぶべき存在ではないと思うが、小学生の理解レベルでは原始人だった

*2:実際に黒曜石の産地だったとしても、当時の僕の知識では見つけられなかっただろう。小学生の僕はきらきらと黒く光る石を想像していたのだが、実際の黒曜石の表面は風化しており、素人目には他の岩と区別がつかないからだ。

*3:人間と猿の違いのひとつに親指の対向性がある。これによって対象となる物体をしっかりと保持することができる。また不随意呼吸ができるようになるのも原人からである。息を止めて力を込めることができるのだ。そしてもちろん脳容量の違いは大きい。脳神経細胞の数自体は類人猿と大きく違わないのだが、神経細胞を支える脂肪細胞の体積が脳容量の違いを演出している。この知性の発達を促した遺伝的能力のおかげで人類は肥満に苦しむことになる。

*4:単純な石器と手斧の違いの主要部は握りの部分にあるが、刃の部分の違いのほうが天才的である。単純な石器だと刃に使われる断面はひとつであるが、手斧では細かい断面を組み合わせて刃としている。

*5:あごの骨の形状の違いで、ネアンデルタール人ホモサピエンスほど多様な発音はできなかった。そのため、言語はあったかどうかは分からないが、あったとしても複雑な言語は操ることができなかったと考えられている。また、この部分での違いがホモサピエンスをヒト科の中の競争で優位にしたという学説がある。遺伝的な頭のよさでは大きく違わないようだ。なお、考古学者たちの手によって言語なしで石器の製造法を伝授しようという実験が行われ、簡単に成功した。

*6:原石の貿易も地域によっては行われていたようだ。しかし、原石だと重すぎるという問題があったため、半製品での輸出に利点はあった。

*7:不純物が混じったフリントではかなり丁寧に作らないと、すぐに失敗してしまう。フリントの産地はかなり薄く広がっているのだが、最高品質のフリントの産地は限られている。

*8:数万人単位の被験者を乳児の段階で社会から隔離して同一の条件で育てるなどの非人間的な実験をすれば、これら人種間の知能の差が見えてくるのかもしれない。しかしそれが見えたところで、実際の社会では個人差のほうが大きい状況は変わらないため、この実験結果は何の役にも立たないだろう。

*9:狩猟採集部族のほうが初期の農耕部族よりも高い生産性を持っていたという説もある。日本の縄文人などはそうだったという学説をよく目にする。しかし、日本列島のやせた土地と比べて異常なほどに肥沃な土地は世界中に点在している。世界最古の文明の大部分はその肥沃な土地に存在しているため、そこでは農耕部族は狩猟採集部族と比べると生産性に関して大きな利点を持っていたはずだ。

*10:残念ながら間接知財に関する教科書は今のところ僕は見つけられていない。

*11:言語は単に統一されただけでなく、時制の複雑化や、単位の概念、文法の複雑化など、さらに新しい技術を伝達するための洗練化が進んだ。現代でも言語の複雑化は進展しているのだが、現在最も流通している英語は最終的にはこの新技術に対応できなくなるのではないかと思う。特に英語の欠点は新概念を表記するための短縮単語の生成能力の低さである。表音文字表意文字の両方を有している日本語が新しい技術を開拓するための潜在能力が、一千万人以上の使用人口を持つ言語の中では一番高いと考えている。ただし日本語は時制や音素数が弱いためにこの部分で改良を加える必要があるだろう。