言論の自由の重要性

人はみな自由に生きるべきだ。
すでに書いたことだが、人間は根源的に自由である。やりたいことをやりたいようにやることができるし、それを阻もうとする力に対してさまざまな手段で対抗することができる。主体間の自由や権利が衝突しても、妥当な妥協を成立させることで問題を解決する能力を人は有している。
しかしふたつだけ、その人間の能力を完全に奪ってしまう方法がある。
殺すことと正しい知識を与えないことだ。
殺された人間はもはや何もなしえない。彼は我に害を与えることができなくなる。しかし、その一方で彼は我に益を与えることもできなくなる。死人は役に立たないのだ。
人はなぜ他人の自由を奪おうと考えるのか。それは彼を我の思うように動かしたいからだ。だから、よほど邪魔になる人物でならばいざ知らず、殺してしまったら元も子もない。
そこで殺さずにすむ方法を考案することになる。
 通常は取引を行うことになる。互いに利益になる取引条件を提示し、我の利益になるように彼に動いてもらうのだ。しかし、どうやっても彼の利益にならない要求を通すことは基本的に不可能である。普通の取引では自爆テロの実行者は募集できない。そのはずなのに、実際の世界にはこれらの志願兵が存在する。
方法は単純だ。
人が自分の欲望を当人が最善と考える方法で実現しようとする原則を利用する方法だ。つまり、欲望をすりかえ、最善と考える手段をすりかえるのだ。
自爆テロリストの中には、もちろん、物事の道理を冷静に理解しながらも、それでも自らの欲する道のために爆弾を胸に抱く者もいるだろう*1。それもまた、尊厳ある人間のひとつの姿だ。しかし一方で無邪気な年頃であるはずの少年が、名前も知らない異教徒の命を狙って自爆している。
少年は自爆テロ以外の手段の可能性を考えないのだろうか。
たとえば、彼の父母の命を奪った兵士を突き止め、夜道で彼の背中を刺すことはどうだろうか。ガンジーの願ったように非暴力の抵抗だってできる。証拠を集めて法廷闘争もできるし、すべてを許すことだってできるのだ。
どうやっても自爆テロしか思いつかなかったからだろうか。それは半分正しくて半分間違っている。彼は自爆テロという手段しか教えられていないからだ。異教徒ならば誰でもが敵で自爆テロこそが最高の手段だと教育されたからだ。欲望をすりかえられ、手段を考える術を奪われた少年は、非常に合理的な思考回路でありながらも、非合理で不可解な行動を採ることしかできない。
得をするのは誰か。
自らの命を保ったまま、自分の嫌う人々に不利益をこうむらせることに成功する人物である。少年が正しい道理に接することを阻み、間違った知識を教え込んだ人物だ。彼が少年と不正義な取引を行ったのだ。
自爆テロだけではない。「将軍様マンセー」と叫ばせたり、世界地図の中でイラクの所在地を指し示すことすらできない国民に「自由と民主主義を守れ」と叫ばせたり、好色な教祖に自分の娘を差し出させたり。与える情報をコントロールすることで驚くほど不思議なことを他人に行わせることができる。
だから、我々は魂の自由を得るためには正しい情報を手に入れなければならないのだ。


「自由とは2足す2が4であると言える自由だ。それさえ容認されればすべての自由は容認される」(ジョージ・オーウェル著『1984年』)*2
至言である。
この小説の中で国家はあらゆる情報を改竄し、管理された情報のみを与えられた国民は幸せな生活を送っていると信じ込まされている。主人公はその生活に異常さを感じるが、国家に洗脳され、最後には2足す2が5であると言い、幸せな虚構の生活へと帰っていく。
自由の敵は軍事力でも拷問でも独裁でもない。真実の封印こそが本当の敵だ。
これは物語の中だけでおきている寓話ではない。世界にはまだまだあからさまな嘘を国民に教育し、言論を弾圧する国家がある。
最近の中国*3反日デモなどは典型的な例である。デモに参加した中国の民衆は口々に言う。「日本は軍事国家であり、アジアの平和を脅かしている」と。
そんな馬鹿な。普通の、そして大多数の日本人は思うだろう。
日本は60年以上、対外的な軍事力の行使を封印してきた実績を持っており、軍事的な野心は結局は割に合わないと理解しており、アジアの隣人たちと仲良くやっていきたいと願っていることは日本人の常識だ。
もちろん、大日本帝国の、もしくは日本人民共和国の覇権を夢見る人間も存在するだろうが、よほどの世界環境の変化がない限り、それは日本の国論の主流派とはなりえない。諸外国がわざわざ軍事力で封じ込める努力をする必要などないのだ。
しかし中国の民衆はそのデマゴーグを信じ、自らの幸せを実現するために日本を排撃する。なぜ信じるのか。中国政府が嘘を教え、その嘘を信じ込むことが彼らにとって心地いいことだからだ。
人は耳に心地よいことを信じたい欲望がある。しかし真実と懸け離れた世界を根拠なく本気で信じることは精神病の症例のひとつだ。
彼らだって馬鹿ではない。(馬鹿は世界中にいて根絶することは不可能だ)
うすうすは中国政府の言い分が論理に合わないことを気づいている人は多いだろう。しかし、反証の基礎となる知識を何一つ与えられていない状態で、政府の発表を信じずに真実の世界を妄想することは不可能だ。日本が悪の帝国であることのほうが、彼らにとってより健全な思考の結果なのだ。
もし中国政府が言論の自由を認め、人々が世界にあふれる情報に接することができたならば、あのような反日デモは激減することだろう。
それは中国民衆の不幸かもしれない。中国政府の提供する虚構の幸福が奪われるからだ。しかし、正しい情報を手に入れることは、真実の幸せに向かって努力するための武器を手に入れることだということを忘れてはならない。幸せを手にいれる方法を真剣に検討し、それを実現するために努力するための、どうしても必要な条件なのだ。
人生は意外と長いという事実を忘れてはならない。たとえ、この数年は虚構の幸福が失われたとしても、数十年の努力は、個人差はあるとしても確実に報われる。少なくとも、誰かの思惑で爆弾を抱えて特攻するというはめには陥らずにすむ。


極論すれば自由とは幸せになるための手段だ。
人それぞれがそれぞれの幸せを追い求めており、それを実現するための方法が制限されないことが自由だ。そして人は努力と工夫という武器でその制限をいくらでもかいくぐることができる。それを阻むためには、先述したように殺したり監禁したりと物理的に役に立たない状態に追い込む以外の方法はない。
だからこそ、正しい情報を得ることができることが重要なのだ。そして正しい情報を手に入れられる可能性を高めるためには、個々人が正しいと信じる情報を堂々と口にすることができる社会が必要だ。世界はガセネタも含めて多くの情報が満ち溢れるだろう。その情報の中で論理的に正しいと感じるものを信じていくしかない。たった一つの嘘だけが存在する社会よりも、九の嘘と一の真実がある社会を求めよう。
2足す2が4と発言することさえ保障されるならば、すべての自由はもはや手に入れたも同然なのだ。

*1:作り話かもしれないが、一人の爆弾を抱えた少女の話を聞いたことがある。当時のイスラエルはいたるところに検問があり、そのせいで救急車すら何度も止められていた。看護師である彼女は、検問のせいで助からなかった患者をたくさん見ることになった。そして自爆テロの実行を決意したそうだ。これを実話だと認定してイスラエルの批判をするつもりはない。ただ、非常に理性的に自爆テロを選ぶことがありえるという話だ。

*2:僕はこの本を小説のできばえとしてはあまり評価していないのだが、問題点の抽出と強調の仕方では非常に優れている小説だと思う。いや、たった一つでも飛びぬけてすばらしい文章があるのなら小説としてのできばえをすばらしいと評価するべきかもしれない。ならばこの小説はすばらしい小説だ。

*3:最近、というほど最近の話でもなくなった