足りぬ足りぬは工夫が足りぬ


あまりの忙しさに時間が足りなくて苦しい思いをすることは、人間誰しも経験していることだろう。そしてそんな状態が一ヶ月、半年、一年と続くようになると、ストレスが溜まりまくり、誰かに愚痴を言わずにはおれなくなるものだ。
たいていの愚痴が「相談したいことがあるのですが」という枕詞から始められる。本人はただ単に自分がどれだけ苦しいかを人に話したいだけなのだが、相談された人間は解決策を考えてやらなければならないと思い込んでしまう*1
相談された人は今日のタイトルのせりふを言うかもしれない。そして「睡眠時間を削ってみるとか、早飯の努力をするとか工夫をしてみろよ」と言い、あげくのはてに「もっと頭を使えよ」とのたまう人もいる。完全に笑い話のネタだ。
一ヶ月くらいはどうやっても解決できないくらいに忙しいことは普通にありえる話だ。しかし一年を通じて忙しい時は、工夫が足りないことを疑ってみるべきだろう。
第一に疑うべきことは、自分の生き方がこれで正しいのかという点だ。サラリーマンが一年を通じて毎日3時間ずつ残業することは道徳的に間違っている。それは不公正な取引だ。余暇の時間は少なくなればなるほど、一時間あたりの価値が高まる。その価値に見合うだけの残業代をもらっているかを問い直してみよう。サラ金に大きな借金を抱えているのならばいざ知らず、そこまで日常を破壊する労働は、日常を生き抜く糧を得るために労働するという目的を破壊する行為だ。
不法なほどの超過労働は、個人的に経済学的合理性を逸脱しているのみならず、社会的にも悪である。ある人が頭を使って工夫をした上に睡眠時間を削って働いたとしたら、その人に仕事上で対抗しようとしたら、自分も睡眠時間を削って働かざるを得ないだろう。そして追随してきたライバルを蹴落とすためにはさらに睡眠時間を削って……。それは憲法に描かれた健康で文化的な生活なのだろうか。働きすぎることは社会を害する行為であることを認識すべきなのだ。
できるだけ早い段階で負の連鎖反応を断ち切らなければならない。しかし自分だけが労働時間を減らした場合、労働時間を減らさなかったライバルにぼろ負けしてしまうだろう。労働時間を減らすためには社会全体で足並みを揃える必要がある。それが労働基準法である。すべての労働者が労働基準法を守ることによってのみ、負の連鎖反応は防止できる。囚人のジレンマゲーム*2で卑怯なプレイヤーが相手を出し抜くことを許してはならないのだ。
しかし現行の労働基準法は工夫が足りないために負の連鎖反応を止める力を有していない。現行の法律は管理者側だけを規制しているからだ。管理者が労働者に超過労働を押しつけることに利益を感じるのは確かなのだが、労働者側も超過労働に多くのインセンティブを感じている。前述したライバルを出し抜くという目的以外に、単純に金銭だとか、出世のためだとか、情けないことに解雇されることを恐れているとかである。超過労働する労働者が社会を害するのならば、労働基準法は労働者にも罰則を規定するべきだ。
この罰則規定は労働者の利益に繋がる。「余暇を楽しみたい」「疲れたから」「法律上、これ以上働かない権利がある」という言い訳で残業を断られると管理者は腹が立つだろう。しかし「私は犯罪者になりたくない」という言い訳ならば、残業を押しつけることはできなくなる。国会はこういう工夫をするべきなのだ。
社会や労働者側から労働時間の短縮の利益を説いたが、実は管理者側にとっても労働時間の短縮は利益がある。
サラリーマン諸氏には共感してもらえると思うが、残業をしていてある時間(だいたい夜の8時くらい)を過ぎると極端に仕事の効率が下がる。それでも無理をして仕事を終わらせなければならない場合もある。そうして無理をすると、翌日の仕事の効率が下がる。効率が下がると余計に時間がかかって長時間残業を余儀なくされる。そしてまた翌日に影響が出て……。疲労とストレスをきれいさっぱりと洗い流すと、仕事の効率が倍くらいに高まったということは多くの人が体験していることと思う。一日12時間ずつ働かせるよりも、一日8時間しか働かせないことのほうがより大きな成果を生み出すのだ。しかも残業代や光熱費が節約できるというおまけつきだ。
この労働時間制限を実行するためには労働者に無駄な仕事を禁止しなければならない。たとえサービス残業であっても、労働者の気力をそぎ落とすことを考えれば、労働者が無駄な仕事をすることは会社にとっての損失なのだ。光熱費を節約することと同じ熱意でもって無駄な仕事を節約しなければならない。
ITの発達は明らかに無駄な仕事を削減した。簡単即座に情報を入手し発信できることで仕事の効率は上がった。しかし仕事の効率が上がることで無駄な仕事が増えた。ITが導入される前は、「(社内および社外の)取引先に対してもっと誠実な対応をしたいが、どうにも時間が足りないからこの程度にしておこう。お互い様だから向こうも理解してくれるだろう」と適当に仕事を間引いていた。それがITの発達によって特に「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」の量が増えた。それは無駄な仕事なのだ。
管理者は「ホウレンソウを減らせ」と部下に命令する勇気を持たなければならない。価値の低い情報は発信受信にかかるコストを考えると無駄な情報なのだ。
また、自分が命令したことを部下が完璧に実行して当然と考えることも間違いである。現場に関しては部下のほうが質の高い情報を持っている。その部下が実行しなくてもよいと判断したならば、その判断は正しいのだ。逆に立場的に部下よりも自分がその命令の重要性を理解していると信じられるときは、実行されなかった命令を再度命令すればいい。そうやって仕事を淘汰することで、無駄な仕事が削減されるのだ。
ビジネスは経済学的合理性に基くものならば、完璧だけどコストが高い仕事よりも、要所だけ押さえているコストが低い仕事のほうが尊ばれるはずだ。だからビジネスの場面ではタイトルの言葉はこう変えられるべきである。
「足りぬ足りぬでちょうどいい」

*1:本当に必要なことは、正論に基く解決策ではなく、我慢強く聞いてやることだ。「君の話してることはタダの愚痴だよ」と本人にこれは相談事ではないことを自覚させた上で、「気が楽になるから話してごらん」と優しい言葉をかけられる人間は偉いなあと思う。僕はそこまで優しい人にはなれないです。

*2:ゲーム理論の教科書には必ず載っているネタである。あまりにも有名なネタなのでここで詳しくは説明しない。教科書を買って読んで理解してください。