トリガー直接知財 情報の取引 その6

・情報の対価に情報を支払う
情報取引において発信者と受信者では適用されるゲームのルールが違うことはすでに述べた。この相違を克服するためのいくつかの方法を説明してきたが、いくつか書き残した方法がある。
そのなかで重要なものにこの取引で発信者と受信者を対等なものに変えてしまおうというものがある。発信者・受信者という立場が異なるために対等になりきれなかったのだから、それを対等にするためには受信者もまた発信者になればいい。つまり、情報の対価を情報で支払ってしまおうという考え方だ。
これによって元発信者は元受信者が元発信者の発信する情報を信じられないという不安を共有し、元受信者は元発信者が元受信者の支払う対価を信じられないという不安を共有することができる。状況的には不信感が二倍になっただけのように見えるが、ゲーム理論の世界では逆に互いを信用できるプレイヤーとして見なすことが可能になるため、逆に情報取引が活発化される。
この例としてはジャーナリストの取材が挙げられる。僕の父は業界新聞の記者なのだが、取材においてこの情報と情報の取引を多用している。
もちろんこの取材に応じる側は、すでに述べた広告媒体としての発信対価の回収を第一に置いているのだが、ジャーナリストが御用記者と成り下がらないためには、広告効果が現れるような、つまり取材対象のいいことばかりを記事にするわけにはいかない。新聞の読者が価値を認めてくれるような記事を書くためには、取材テクニックが必要とされるわけだ。
そこで彼は、彼が別の場所で得た情報を分析して独自のトリガー直接知財を生産し、そのトリガー直接知財を情報取引の対価として支払うことを行うことになる。厳密に言えば、彼はこのトリガー直接知財を新聞の記事という形で公表しているために、この情報の取引価値はゼロになっているはずだ。しかし、文字数の限られた記事よりも詳細で鮮度の高い情報は十分に取引価値を有している。さらに言うと記事にできない、いわゆるオフレコ情報も当然のように取引対価に仕立て上げられている。


情報取引において、発信者は発信にかかる時間などのコストは負担しなければならないが、情報そのものの保有量が減ることはない。つまり情報発信のコストは非常に低いと言える。しかし発信者は情報発信に対して、情報発信のコストと比べると過大とも言える対価を要求するのはなぜだろうか。
これは通常の物質に依存する財(今後、物質財と表記する)における在庫過多になった財の販売に似ている。販売しきれるだろうと予想される在庫量を超過した在庫に関しては期待利益はゼロである。つまりそれを販売したところで在庫の資産価値は減ることはない。これを捨て値で処分することもできるが、多くの販売者はある程度の理性を持った価格をつけて販売しようと努力するだろう。
1.受信者の感じている価値に合わせる
受信者がその情報に対してある量の価値を見出すだろうと推測しているならば、受信者は対価を支払ってもその情報を欲しいと考えるはずだと発信者は推測できる。そして受信者が感じるだろう価値よりもほんの少しだけ低い対価を提示したならば受信者は喜んでその取引を成立させる。ミクロ経済学的に言えば、消費者余剰をできるだけ搾取しようという行動だ。
2.生産コストの回収
次にすでに所有している情報を発信するためには追加コストがほとんどかからないといっても、その情報を生産するためにはコストがかかっているからだ。その生産コストを回収しなければ、次の情報を生産するための資本が目減りしてしまう。つまり資本の再生産のためのコストを要求するという考え方に基いて要求する対価が決定される。
3.資産価値減少の補填
情報はその情報の所有主体が増えるほどにその取引価値を減少させる。ミクロ経済学的にはその財の希少性が失われていくという状況だ。取引価値が減少した結果、発信者の所有する情報の資産価値は減少する。その減少分を補填するだけの対価を要求したいと発信者は考えるのだ。物質財の場合もこの法則は適用される。市場にその財が流通することで、在庫に残った財の取引価値が減少し、当初見込んでいた価格や数量を維持できなくなる可能性が生じる。
この三点の中で限界費用は3の資産価値の減少だけだ。そして多くの発信者はこの3の限界費用すら意識していない。そのため情報発信の心理的限界費用は非常に小さなものになっている。
情報の対価を情報で支払うことを要求するのは、この心理的限界費用が低いことを利用した取引だ。元受信者は元発信者の発信する情報の価値を取引の事前には正確に判断できないが、その対価を限界費用の低い情報で支払うことでリスクを回避することができる。情報の取引後、発信者と受信者が支払った情報に対する事後に判明した価値が異なったとしても、双方の主体は取引が行われたことに満足するだろう。
この情報取引によって得られる価値が、発信者と受信者の間で大きく乖離していた場合、それが判明した場合にはより低い価値しか得られなかった主体は、もう一方の主体に対して不信感を抱くことになるだろう。そしてその乖離を埋めるために次の取引ではもっと価値の高い情報を要求したり、逆に発信する情報を制限したり、取引を行うこと自体を控えたりするだろう。しかし、これもまた物質財の取引で通常に見られる現象の一つだ。
この乖離はよほど大きくなければ判明することはないだろう。物質財でも同じことであるが、消費者余剰を明快に測定する方法は存在しないからだ。双方の主体は相互に相手の消費者余剰が自分の消費者余剰よりも大きいのではないかと疑心暗鬼に陥るのだが、自分がその取引で利益を得ていると感じる限り、取引を継続することが合理的な結論となる。
この情報取引において、より有利な取引を進めることができるのは情報取引に慣れたプレイヤーだ。彼は自分が発信する情報のコストに対してより正確な認識を持つことができ、相手が発信しようとしている情報の価値に関してもより正確な推測が可能になる。その知識をもとに、より少ない情報発信でより多くの情報を受信することが可能になる。また彼は、相手が取引条件に不満を漏らさない程度に発信する情報量をコントロールすることもできるだろう。情報取引は繰り返し行われることにより、より効率的なものになっていくため、取引の継続の優先度は非常に高いものになる。