トリガー直接知財 信用醸成 その1

発信者と受信者の間で互いを信用しあう関係を作り出すことを「信用構築」と命名するのが普通かもしれない。しかしあえて「信用醸成」と命名したことには理由がある。


じょうせい(ヂャウ‥)【醸成】
1 =じょうぞう(醸造)1
2 雰囲気(ふんいき)や気分をかもしだすこと。また、機運ある状況をつくり出すこと。醸造
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) (C) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)(C)小学館 1988 


発信者と受信者の間にある信用関係は「雰囲気や気持ち」程度のあやふやなものでしかない。情報が物質財でないために、両者の間に信用を担保する確固たるシステムを構築することは基本的に不可能なのだ。いつ裏切られるか分からないし、裏切った相手に懲罰を与えることが非常に難しいからだ。
それでも相手を信用しなければ取引を行うことはできない。信じていないが信じて取引をしなければならない。こちらが相手を信じきると、相手は自分を信じる必要がなくなり、利用できるだけ利用しようとするだろう。しかし相手を信じなければ、相手も自分を信じたりはしない。互いに少しずつ信じあう形で繰り返しゲームを進めなければならない。信用醸成は非常にバランスの難しい関係だ。
信用醸成関係は金銭的なコストをかければ手に入るものではない。中途半端なマニュアルを片手に長時間をかけなければ醸成させることのできない関係だ。それでも信用醸成関係が世界に存在する以上、そこにマニュアルが、つまり理論があるに違いない。我々はまったくの無力ではないのだ。


なぜ相手を信用できないか
この部分に関してはすでにある程度は解説しているが、もう一度まとめて、そしてさらに深く追究してみよう。


・取引の無効化が物理的に不可能
一番の原因は取引を無効化させる物理的方法が存在しないことだ。一度発信した情報を受信者に消去させることがたとえできたとしても、複製されたり再発信された可能性を消すことはよほどの幸運に恵まれない限り不可能だからだ。
取引が無効になった場合、取引が行われる前の状態に復帰させることになる。取引の対象となったもの、対価として支払われたものをそれぞれもとの所有者の支配下に戻すことが行われる。物質財ならば実物もしくは同等物が、金銭の場合は同額の金銭が交換しなおされ、返した主体の支配下から失われることになる。
しかし情報は返しきることができない。物質財や金銭の取引と違い、情報は取引された場合に発信者がその情報を所有しなくなるわけではないからだ。取引時点で情報は複製され、複製されたもの*1が受信者の所有となる。そして取引無効に伴う現状復帰の過程においても同様のルールが適用される。受信者は発信者に情報を戻そうとしても、自身が所有している情報を消すことはできない。手紙やコンピューター内の磁気記憶ならば消去することはできるだろう。しかし人間の記憶を意図的に消去することはできない。記憶を確実に消去する方法はその人物を殺すことだけだ。しかし、よほど重要なことでなければその程度で人を殺していては割に合わないことは自明の理である。
トリガー直接知財の内容は人間が正確に記憶しきれないほど細かく大量かもしれない。しか本質部分は簡単に記憶でき、簡単には忘れられないほどにコンパクトだ。たとえば気象庁スーパーコンピューターでしか解析できないほど大量のトリガー直接知財を入手しなければ天気予報を製作できないが、その大量情報の本質部分は、たとえば「明日の降水確率は30%」でしかない。そんな少量の情報が大量の冗漫な情報とほぼ同等の価値を持っている。
また受信者は情報を消去したふりだけをすることも容易だ。情報は痕跡を残さずに複製することが可能であり、その情報を隠された場所に保管したり、他者に譲渡してしまったりすることができる。


・信用を裏切ることが利益になる。
物理的に不可能ならば信用というあやふやな、しかし知性を持った人間にしかできない方法を使わざるを得ない。
しかし取引において相手を裏切る行動をとることが取引のそれぞれの主体にとって利益になってしまう。また、相手が自分を裏切る意図はなかったとしても、自分の期待ほどの行動をとってくれることもまた信用できない。
どんな取引でも同じことなのだが、販売者は経費以上の対価を要求し、購買者は対価以上の効用を要求する。その両者の要求する対価の範囲が一致しなければ取引が成立する可能性はゼロである。ミクロ経済学の用語を使うならば、生産者余剰と消費者余剰の双方が正の値でなければならないということだ。そして取引が行われるにあたって、それぞれがそれぞれの余剰を増やそうと増やそうと努力を行うだろう。
もちろん取引価格を自分に有利なように変更しようとし、生産者は経費をできるだけ削減しようとし、消費者はできるだけ効用の高い商品を購入しようとするだろう。その努力の結果は、当初の契約内容とは違う商品を売りつけようとし、違う商品を購入しようとし、取引価格を変更しようとする行為になる。契約書の文面どおりに取引が行われると夢想するのは愚か者だけだ。
実際の取引内容があまりにも契約内容とずれている場合、不利になった主体は取引の無効を主張するだろう。しかし情報取引を物理的に完全に無効にすることはできないのだ。
それでも法律上は契約を無効にできる。つまり、受信者は情報を返却することなしに対価の返却を発信者に要求できてしまうのだ。いや、それ以前に情報を受け取っておきながら対価を支払わずにばっくれてしまえば、もっと話は簡単になる。
逆に発信者も契約を悪用することが可能だ。そもそも情報取引において、契約書はどうにでも解釈できるあやふやなものでしかないからだ。取引される情報の正確な内容は、それを受信者に知らせてしまえば意味がなくなってしまうから契約書の文面には記載することができない。ならば経費のほとんどかかっていない薄っぺらな情報を取引しておいて、その対価を要求することが最適戦略となる。受信者がその内容に文句を言って取引の無効を訴えたとしても、発信者はそれが契約書どおりの内容であると裁判で主張することができる。
つまるところ、これは至極典型的な「囚人のジレンマ」ゲームなのだ。


・虚偽の情報を発信することにペナルティーがない
囚人のジレンマゲームに加えて、さらに情報取引に特有の問題がある。発信者が受信者に意図的に虚偽の情報を発信し受信者の行動をコントロールすることで、発信者が利益を得ることがあることだ。
たとえば営業活動において、顧客に自分のライバル会社の営業活動についての情報を聞こうとする場合、顧客はわざと「もう一つの会社はこんなに安い価格を提示してくれてますよ」と嘘をつくことは日常茶飯事だ。それが本当か嘘かを見極めることは難しい。嘘だと信じたのに本当だったなら取引を失うことになるし、本当だと信じたのに嘘だったら本来の利益を失うことになる。本当だと信じて本当だったら、利益は減るかもしれないが取引は継続できるだろう。嘘だと信じて実際に嘘だったとしても、最初の状態より利益が増えるわけでもない。そして嘘をついた側にはどの場合にもペナルティーがない。実際の社会ではさらに複雑な条件が加わってくるのだが、基本的には嘘をつくことが最適戦略となっているのだ。
この手の嘘に対して、嘘をついたことに法的責任を負わせることは困難だ。嘘をつく側はどうとでも取れるようにあやふやな表現で嘘をつくだろうし、そんな嘘にだまされる側が間抜けであるということは社会的常識だからだ。
受信者が間抜けでありたくないのならば、つねに発信者が嘘をついている可能性を考えていなければならない。つまり発信者を信じてはならないのだ。

*1:複製されてはいるのだが、オリジナルと同一のものであり、発信者・受信者の所有するどちらもがオリジナルであると言える。