トリガー直接知財 信用醸成 その2

価格が定かでないために相手を信用できない
ある財においてある程度合理的に説明のつく価格があるのならば、相手の提示する価格を受け入れることで、それ以外の面で信用できない相手とも取引を行うことができる。しかし情報の持つ価格は、原価面そして効用面の両方において合理的に説明のつく価格が存在することはまれである。そのためこの方面でも相手との信用醸成を行わなければならない。
日本に住んでいる我々はしばしば誤解しがちなのだが、そもそもどのような財であっても価格は一定ではない。取引条件の5W1Hによって価格などはいかようにでも変化する。しかし工業化が進むことにより、現金掛け値なしの価格設定のほうがトータルの利益を向上させられるようになり、現代の先進国都市部では掛け値なしの価格が主流になってきた。
そういった歴史を当てはめてみると、情報取引は工業製品の取引に比べるとまだまだ未成熟で、そのために価格が一定でないのかと考えてしまう。もちろんそういった部分もある。第三次産業も価格が安定するのは工業製品と比べるとずっと最近のことだった。
現在、いくつかの情報取引は掛け値なしの価格設定を行うようになっている。しかし大部分の情報取引は混沌の価格設定の中で行われている。第三次産業第二次産業と大きく違った性質を持っていたために成熟が遅かったのと同じように、第四次産業もまた、既存の成熟した産業と大きく異なる性質を持つために価格が安定しないのだ。


・大量生産品ではない
情報は一つ一つが別のものであるからこそ価値が出るのである。同質の効用を持っている工業製品の大量生産品ならば、その生産にかかったコストを合計して生産数で割ることで一つあたりの原価がそれなりに計算できる。しかし情報は一つ一つがそれぞれの原価要素を持っており、毎回原価計算を行わなければならない。


・原価の由来がはっきりしない
その原価要素の不安定さも大きな問題である。多くの情報は情報を生産する人物の長年の学習や経験の蓄積を基に生産されるのだが、そのようなものを計算に入れていては膨大な原価を積み上げなければならないことになり、非現実的である。逆にひらめきにかかった時間は一瞬だからといって、生産にかかった直接原価だけを計算することもばかげている。
これはまるで第一次産品と同じである。たとえば金鉱石は採掘に莫大な経費がかかることもあれば、河原の底の砂をさらうだけで手に入ることもある。どんな方法で採掘しようがどのような経費がかかっていようがかかっていまいが金は金だ。財の価値をはかる方法の一つに労働価値説というものがある。その財を生産するのにかかった労働力の総計が財の価値であるという考え方だ。しかしこの方法では自然に存在する無所物である原油や金や水産物の価値を計算することが事実上不可能だ。情報も同じで誰が最初に生産したものであろうが、その情報に所有者の名前を書き込むことは法律を使うことでしかなしえない。
情報の原価は、どれだけの経費がかかっていようとも本質的にはゼロであるとも言える。情報の生産は高度に労働集約的であるにもかかわらず労働価値説的に原価を設定することはナンセンスなのだ。


・効用を事前に確定できない
労働価値説的に価格が設定できないのであれば、取引価値説的に価格を設定しなければならない。第一次産品ならば金のように同質のものが大量に存在し、取引相場によって価格を推測することができる。しかし情報は前述のように個別生産品であるため、それぞれの情報に対して受信者の効用を推測することでしか価格を設定することができない。
受信者が自動機械であるならば、インプットされる情報に対してアウトプットである行動は確定している。しかし受信者は自律機械でありその中身はブラックボックスであるため、発信者は受信者がその情報によってどのような行動を起こすか、つまるところ受信者がその情報に対してどのような価値を見出すかが推測できない。


第三次産品が第二次産品と異なる性質、つまり「財が物質ではない」「在庫できない」「わざわざ購入しなくても自分でできる(ような気がする)」といった不利を克服して価格をある程度安定化させたときに第三次産業の大きな成長を経験したように、第四次産業も価格を安定化させれば大きく成長することだろう。しかし、今はまだその時期に至っていない。だから我々は価格という面に関しても信用醸成を行わなければならないのだ。