トリガー直接知財 信用醸成 その10

信用醸成の罠


ここまで述べた信用醸成の手段を駆使すると大きな陥穽にはまり込むことになる。このような方法で(そして僕がまだ気づいていない方法であろうと)マニュアルを作ると、確実にその穴にはまる。しかしこのマニュアルを無視するともっと大きくて深い穴に落ちることになるのだから、怪我の程度が軽い穴にはまるくらいは許容することが経済学的合理性だ。それでも穴の内容を知っておくのと知らないままはまるのでは大きな違いが出るだろう。
「常識では推し量れない新しい価値」を信用することができないことだ。
ここまでの信用醸成の手順は以下の通りだった。
1.最初は信用できない。
2.信用するための理由を探せ。
3.実績が信用を高める。
4.他人の意見が信用醸成に利用できる。

この「新しい価値」をこの手順に当てはめるとこうなる。
1.もちろん最初は信用できない。
2.その価値の理由が推し量れないから信用できない。
3.信用できる理由がないから採用せず、実績も作れない。
4.常識を逸脱しているために、他人からはこの価値に関して否定的な意見しか聞くことはできない。

これではこの新しい価値を信用しろというほうが無理な注文だ。しかし「新しい価値」は常識では覆すことのできなかった、現時点での社会の問題点を打破する能力がある。これをみすみす見逃すことは大きな機会損失なのだ。だからなんとかしてこの「新しい価値」に与信するための技術を開発しなければならない。
従前の手順はしかし正しい。これは価値のない情報を淘汰するためにはどうしても必要な手段だった。
1.やっぱり最初は信用できない。
2.価値がないのだから信用できる理由が見つかるわけもない。
3.価値がないからためしに信用してみたところで実績は作れない。
4.他人に聞いてもやっぱり否定的な意見しか聞こえてこない。

ここで一箇所、光明が見えた。手順の3だ。なぜうまくいくかは分からなくても、うまく行くやり方ならば結果はついてくる。なぜうまくいくか分からなくても、うまくいかないやり方では結果はついてこない。その結果は信用醸成の糧になり、そこから先は通常の信用醸成の手順に持ち込むことができる。
しかしこれは机上の空論だ。実際にこんな理想が簡単に実現するわけがない。どのようなすばらしい「新しい価値」も現実世界で試行錯誤しながらブラッシュアップをしなければ「成功するやり方」にはならない。成功しなければ結局は「価値のない情報」と同程度に無価値で信用に値しないやり方だと断じられるだろう。さらにどれだけ完璧な情報であっても偶然の失敗という罠はいつでもついてくるし、どれだけ間抜けな方法でも偶然成功する可能性はある。
また当然に「とりあえずやってみる」には大きなコストがかかることも、この問題の解決を困難にしている。しかも多くの場合はそのコストは発信者ではなく、発信者を信用していない受信者が負担しなければならないのだ。
お人よしの受信者が発信者を信用し、その情報が本当の「新しい価値」であって、試行錯誤の上で成功に至ったとしよう。これは発信者にとって理想的な結果だが、受信者にとってはそうでもないことが多い。発信者はその成功談を信用醸成の武器として、同業他社にも同じ情報を販売しようとするだろう。同業他社は低リスクと低信用醸成コストでその情報を購入することができる。これでは最初の受信者は単なる露払いでしかない。こんな間抜けな立場になるしかないのであれば、なにもリスクとコストを負担して香具師の巧言に付き合う気になるわけがない。
知的財産の所有権なんていうものは、ほとんどの場合役に立たない。これも詳しくは間接知財の項で述べると思うが、ブラッシュアップされたイノベーションは拍子抜けするほど単純な内容であることが多く、それを四角四面に法律で保護することは不可能だ。実際に僕自身も、僕が苦労してブラッシュアップした新しいビジネスモデルを同業他社が真似をするのを体験している。その新しいアイデアを実行するために、上司や顧客にどれだけの巧言を駆使し、彼らからどれだけ不信感をつきつけられたかを考えると割に合わない気持ちになる。いっそのこと、同業他社からヘッドハンティングされたいと感じたくらいだった。
「情報取引の前段階として信用醸成を行わなければならない」
こんな単純な、そして今までも無意識下で行われてきた手順をマニュアル化すると、ひどく保守的な社会になってしまう。ある程度の保守思想は社会の安定化を促し、その社会から得られる利益を大きくする効能がある。しかし行き過ぎた保守主義は技術や思想の革新を大きく阻害し、人間の持つ能力を発揮させない結果になる。それはそれで物質的には不幸な事態ではないが、人間の尊厳を傷つける。そして当然に機会利益を減少させ、場合によっては新しい価値に貪欲な文化をもった社会に出し抜かれることになる。
この罠を回避するためには、もう一度、信用醸成の基本原則を思い出さなければならない。
「信用できないけれども信用しなければならない」
信用できない場合に信用するというのは前回・前々回に述べた「低信用醸成度での取引」ということだが、さらにこの罠の回避のために新しいマニュアルを作らなければならない。それはまた次回。