トリガー直接知財 信用醸成 その11

「罠の回避の話は次回です」と書いておきながら、その話の前提となる共同体の説明が長くなったので、結局次々回になってしまった。


共同体を用いた信用醸成の罠の回避


「共同体は協同作業によって利益を追求する」
この性質を利用することにより「常識では推し量れない新しい価値」を実現させることが容易になる。もちろん比較的容易になるだけで、本質的には常識外の価値を理解することは難しいことに違いはない。しかし「本質的に不可能」が「本質的には可能」に変化することは大きい。


・リスクの大幅回避
前々回の論理では、「新しい価値」は実行してみなければその価値は理解困難で、実行するためのリスクが大きく、実現したとしてもそのリスクやコストの回収は難しいという結論だった。この論理のどこか一箇所でも崩すことができれば、我々は「新しい価値」を世界に導入することが可能になる。そして共同体の概念の導入は最後の条件、つまりリスクやコストの回収が難しいことを覆すことになるのだ。
リスク・コストの回収が難しかったのは、それらを負担する主体と「新しい価値」による利益を享受する主体が別であったことに原因があった。それならばその両方の機能を共同体内で用意することができればいいのではないか。つまり情報取引における信用醸成低下リスクの「受信者が支払いを回避しようとする」「発信者が価値の低い情報を売りつけようとする(発信者が複数の受信者に同一情報を販売すると情報の相対価値が低下する)」を回避することができる。
信用醸成の最初の段階の、相手の本気度合いを疑わなければならないことも回避しやすくなる。「常識では推し量れない新しい価値」なんていうものは詐欺のネタとして最適なものだが、これを疑う必要が小さくなるだけでも信用醸成リスクは大きく低下するだろう(共同体内部に入り込んで詐欺を働く詐欺師も多く存在するから常に最低限の注意は必要だ)。
情報発信と価値認識のタイミングが違うリスクも共同体内部で処理できる。当面は蓄積するしかない情報も発信が可能になるわけだ。主体内での取引なので、取引無効のリスクも回避できる。また繰り返しゲームになるからその面でのリスクも小さくなる。


・共同体内部での信用醸成
従業員千人程度の企業ならば、一つのヒット商品があれば優良企業になれる。「新しい価値」と思われる情報が実際はかなり打率の低いうさんくさいものだったとしても、それに投資してみる価値はある。十に一つ、いや百に一つでも大当たりすれば十分以上に元は取れる。ただし千人程度の人間から百もの新規アイデアが出てくると期待するのは楽観的過ぎる。それでもどんな人間からもすばらしいアイデアが出てくることは十分にありうるし、たった一人の天才が百のアイデアを出すこともよくあることだ。しかし実際は悲しくなるほど多くの新規アイデアが闇に葬られている。
結局共同体内部で信用醸成が不必要にならないからこういう事態が起きるのだ。そう、共同体内部でもまた信用醸成は必要だ。共同体は一つの主体であるが、その構成員もまたそれぞれが主体である。家族の構成員の間でも信用醸成が必要なように、共同体内部の構成員同士もまた、無条件に相手を信じあうことはできない。
まず根源的な問題として人間は万能ではなく、失敗や思い込み、能力の限界、怠惰から無縁になることはできない。取引の相手が、何ができて何ができないか、この取引に対する適性や集中力を信じることができなければ、情報は取引することができない。受信者が発信者の情報をトリガーとして行動を起こすにはコストがかかるし、聞き流されるだけの情報を発信することは発信者の精神力が耐えられない。
またもっと個人的な思惑もあるだろう。成功すれば共同体から評価され、報酬や地位の向上が望めるが、手痛い失敗をすると逆の評価が待っている。簡単に別の構成員の口車に乗せられるわけにはいかない。また発信者の側も、受信者が発信者のアイデアを成功に導く能力に欠けていると考えれば、そんな失敗するアイデアを出した責任者として処罰されるリスクを負うことを回避するだろう。
共同体と構成員の間の信用醸成も影響する。新しいアイデアが成功したとすれば、古いアイデアを信じていた構成員の自尊心は傷つくことになる。新しいアイデアでのやりかたを覚えなければならないという負担もあるだろう。その直接の負担が、共同体が新たに獲得した利益からその構成員に分配される分よりも大きいと感じるならば、たとえそのアイデアの成功を信じたとしても発信や実行をためらうことになるだろう。
旧来の全体主義的共同体であれば、共同体内部の信用醸成コストはかなり低かった。しかし現代の株式会社的共同体においては、構成員はそれぞれ自立しており、共同体外部の主体相手ほどではなくても信用醸成を欠かすことは絶対に不可能である。


・さまざまな結束度の共同体
共同体と一口で言っても、現代の共同体はさまざまな種類がある。封建時代の一元的な共同体と違い、現代には多元的に独立した共同体があり、その共同体も上位の共同体に対してある程度自立している。
企業を例にとって見てみよう。一つの法人としての企業の中にも、それぞれの部や課があってそれらは独立に評価を受けるために半独立の構成員と言える。独立採算制の事業部ならばさらに独立度は高くなる。独立度が高くなれば当然に信用醸成の必要度も高くなる。別々の法人である企業同士でも、企業グループや資本関係のある企業、提携契約を結んでいる企業、同じ自治体に所属していることなどは、それぞれ信用醸成の必要度を低くする要因になる。
さらに別々の企業に所属していても、何度も一緒に仕事をしている担当者同士は緩やかな共同体を構成していると見ることができ、そこには共同体の信用醸成コスト低減効果が発生する。
この共同体の多元化は「新しい価値」の社会への導入に対してプラスの効果を発揮する。ある企業に所属している構成員が生産した新しい情報がその企業内で信用醸成の問題上で受信を拒否された場合でも、別の共同体に持ち込んで実現させる可能性が残されているからだ。