トリガー直接知財 信用醸成 その12

発信受信能力の強化


実はこの項は書きたくなかった。ここまでは誰でもが実現可能な、もしくは誰にでも実現可能にするためのマニュアルだったのだが、今回はできない人間には絶対にできないことを書くからだ。
「情報の発信能力や受信能力を高めることにより信用醸成コストを引き下げることができる」
あまりにもみもふたもない話だ。情報の受発信能力についてはノウハウ直接知財の部分で詳しく触れたいのだが、とにかく頭のいい人間は得をして、頭の悪い人間は損をするということだ。本当にみもふたもなさすぎる。しかし頭を使う場面で頭のいい人間が強いことは、力を使う場面で体格の大きい人間が強いように、極々当たり前のトートロジーだ。
受発信能力は特に信用醸成度が低い場面で大きな効果を発揮する。逆に完全に信用しあう同士ならば、受発信能力は聞き間違いを起こさないといったくらいにしか役に立たない。このときには何でも気にせずに発信できるし、受信したすべての情報を鵜呑みにすればいいだけだからだ。
しかしまったく新規の情報取引の場合、相手に情報の価値を分からせること、相手の情報に価値があるかどうかを知ることの能力がなければ情報の取引を開始することはできない。新規の取引相手の場合、相手の人格・能力・利害は未知数だ。分かるのは分割取引で提示された情報の断片だけだ。受信者はこの情報の断片の暗号を解きほぐし、その情報の価値を知り、そしてそれが自分にとって価値があるかどうかを判断しなければならない。逆に発信者は受信者が部分的に解読可能なように暗号化をほどこし、受信者がどれだけの価値を認識したかを探らなければならない。
物質財の取引の場合は商品のサンプルを介して同様の事前チェックが行われている。しかし情報財の場合は、すべて想像力で行わなければならない。数段上の知的能力が要求されるのだ。


・情報の暗号化
すでに述べているが、低信用醸成度での取引の場合には情報を暗号化してサンプルとすることで分割取引を行うという方法がある。最終的に取引をしようとしている情報のサンプルとして、情報の価値は推測できるように、しかし情報の本質的な効能は理解できないように暗号化したものを発信する方法だ。
情報の暗号化は非常に難しい技術だ。読めなくするように暗号化することなどは数学者とコンピューターに任せておけばいい*1。しかしここでは中途半端に解読できることを要求されている。解読できすぎても解読できなさすぎても意味がないのだ。しかもそれがどれだけ解読できるかは、受信者の暗号解読能力によって変化する。この受信者の暗号解読能力を正確に見積もって、さらにそれに合わせたレベルの暗号を作成する能力が発信者に求められている。言葉で書くと非常に難しそうなイメージだが、実際に多くの人がこの暗号を運用していることを考えると、実際は気が狂うほどには困難な技術ではないし、訓練しだいで身につけられないこともない。ただし、どうしてもできない人間は逆立ちでしてもできない程度には難しい。
受信者もまた暗号解読能力を身につけなければならないが、これは解読能力が高ければ高いほど受信者にとって有利に働く。まず解読能力が低ければ、発信者が作成した暗号がまったく解読できず情報の価値が理解できない。その結果、情報取引に踏み切れず、取引による機会利益を逃してしまうことになる。逆に解読能力が高く、情報の価値を理解するどころか情報の本質的意味まで解読できてしまった場合は、発信者に対価を支払う前に取引の成果を手に入れることができる。そこで取引の進行を終了してしまえば、タダで情報を手に入れることができるのだ。
一般的な暗号では暗号の作成よりも解読の方がより高い技術を要求されるが、この暗号の場合も同じである。特に、発信者が意図した以上に暗号を解読するためには相当の知識と知能を要求されるだろう。ただし、ベテランの発信者は情報密度の低い暗号(つまりは解読が難しく、解読できても内部に含まれる情報量が少ないため情報の本質的意味に到達できない)を発信することから始めて、次第に情報密度の高い情報へと発信内容を切り替えるだろうから、情報のタダ取りは困難である。発信者は、受信者が情報の価値だけを理解したと考えられる時点で暗号の発信を終了すればいいのだ。結局、受信者が発信者に比べてよほど高度な知的能力を有していない限り、情報のタダ取りはできないと考えていいだろう。


・常識では推し量れない新しい価値
これはもはや知的能力以外では対処のできない問題だ。
運動能力が高いという言葉の中に、瞬発力が高い、持久力が高い、筋力が強い、平衡感覚が優れている、動体視力がいいなどの多くの能力が含まれているように、知的能力が高いという言葉の中にも多くの能力が含まれている。
計算が速い、記憶力が強い、頭が柔らかい、大量の時間を費やして記憶を詰め込んでいる。自閉症の人間(患者という言葉は使いたくないなあ)によく見られるサヴァン症候群では、常人では考えられないほどの特異な知的能力が現出している。知的能力の大部分を既存の学説を鵜呑みにすることに費やしている人などは、傍目にはすごく頭がよさそうに見えるが、実際には頭が固すぎてものの役に立たないことが多い。逆に僕なんかだと、常識にとらわれずに臨機応変な新しい理論を構築したりするが、あまりにものを知らなさ過ぎて困っていたりもする。
多くのスポーツに要求される能力がいくつかの能力の組み合わせであるように、この「新しい価値」を理解するために必要な能力も、その「価値」に合わせていくつかの能力を組み合わせて発揮される。さらに人間はしばしば「ひらめく」ために、能力が足りなさそうに見える人間に対しても刮目しなければならない。
それでもやっぱり「新しい価値」は分かる人は分かるし、分からない人は分からない。切ないほどにみもふたもない世界の摂理だ。しかしそれでも抜け道はある。分からない人も「新しい価値」を利用することは不可能ではない。
その鍵は前回に話をした共同体にある。たとえ自分自身がその「新しい価値」が分からなくても共同体内部にそれを理解する能力を有している人間がいるならば、そしてその人物に対して信用醸成が行われているならば、その人物の意見を信用醸成に利用することで「新しい価値」を受信することができる。その人物を信じる能力にすら欠けている場合は、マニュアルどおりに生きていくことが正しい選択だろう。
ともあれ、「新しい価値」はそれが本当にすばらしい価値を持っていて実現可能なものだったならば、莫大な利益に繋がる。しかし、ほとんどの場合はそういって売り込まれた情報がガセネタだったというオチに終わる。その違いを見極める能力は結局「常識では推し量れない」のでマニュアル化することは不可能だ。発信側のプレゼンテーションスキルと受信側の理解能力の両者が高いレベルで合致しなければその取引は実現することはないだろう。

*1:事前に暗号表を交換しておく以外に、理論上絶対に解読不可能な暗号は実用化されていない。現在インターネット通信で主流の暗号は計算時間こそかかる(100年くらい)ものの解読は可能なものであり、量子コンピューターが実用化されれば一瞬で解読ができてしまうだろうと言われている。逆に、有名な「ニイタカヤマノボレ1208(12月8日に日米開戦)」という暗号は事前に暗号の意味するものを知らされている者以外には解読不可能だ。いや、1208という言葉だけでばればれなはずなんだけど。