ノウハウ直接知財 ノウハウ直接知財の取引 その6

取引の無効化
ノウハウ直接知財もトリガー直接知財と同じく、情報財としての特徴、つまり取引の無効化が不完全にしかできないという性質を持っている。しかし、この特徴はトリガー直接知財の場合とは微妙に発現機序が違っている。
まず最初にノウハウ直接知財が完全に取引できた場合は、つまり受信の失敗が発生しなかった場合はその取引を無効化することは不可能である。何度も言っていることだが人間の記憶は、その人間を消去しない限り外部からの除去は不可能だ。特にノウハウ直接知財は受信に成功した場合、受信者の主体内で間接知財に変化しており、この状態では忘却という主体内での記憶の消去行為も発生しにくくなる。この視点からは、ノウハウ直接知財は取引の無効化がより困難であるといえる。
しかし人間は常に忘却する。間接知財化した知識もいつのまにかノイズが混じり劣化する。劣化を防ぐ方法は記憶を頻繁にリフレッシュするくらいしかない。リフレッシュの基本はその知識を利用することだ。日常に使っている間接知財は忘れることはない。しかし利用するたびに、もしくは思い出すたびにノイズが入る可能性がある。そしてそのノイズが記憶内に定着してしまえば、次からは劣化した知識しか呼び出すことはできなくなる。
混入したノイズの除去は三種類に絞られる。劣化した間接知財を使用したときに、以前の結果と違う結果が発生すると、間接知財の劣化が発見できる。劣化が発見できたならば、自律機械はそのノイズの除去を試行することができるようになるだろう。これは自律機械の帰納的ノイズ除去機能だ。
次に自律機械はその自律機械内部で自身の所有している間接知財の劣化を発見することができる。はっきり言って自律機械は魔法の機械だ。自動機械ならば見つけられるわけのないノイズを自己診断で発見することができる。これは自律機械の演繹的ノイズ除去機能だ。
そして最後に完璧なノイズ除去手段がある。情報ソースにアクセスして、その情報と自身の内部に蓄積された情報を比較することだ。これならば元情報にバグがあった場合も、そのバグを完全に再現することができる。これは根源的ノイズ除去機能だ。
しかし根源的ノイズ除去を行うには発信者の協力を必要とする。受信者は情報取引を無効にするために発信者を裏切りたいのに、発信者の協力を得るためには取引を成立させなければならなくなる。逆に言うと発信者が受信者に裏切られていた場合は、受信者の根源的ノイズ除去に協力しないという手段で取引の無効化を成立させることが可能になるわけだ。


信用醸成が必要
これに関してはトリガー直接知財との違いがないと言っていい。信用醸成が行われていなければ受信者は発信者の情報の質を信用できないし、発信者は受信者が対価を支払うかどうかを信用できない。信用できない理由も同じだし、信用できる理由も同じだ。強いてあげるなら、ノウハウ直接知財の論理性により受信者が信用醸成が行いやすい。もちろんトリガー直接知財においてもトリガー直接知財の内容を知ることで信用醸成を行うことはできないことはないのだが、受信者を信用していない発信者は受信者が発信者を信用する前にトリガー直接知財の内容を受信者に伝えることを拒む傾向にある。


信用醸成の罠
信用醸成に関する手法はほぼ同じように適用することができるし、当然同じように信用醸成の罠にはまる。信用醸成の罠の回避方法も結局トリガー直接知財のときと同じく、発信者・受信者の心的能力を高めるくらいしかないというみもふたもない状況だ。
信用醸成の罠には少し面白い、というかやりきれない気持ちになる特徴がある。取引価値が高いはずの、新規性が高いノウハウ直接知財ほど信用醸成の罠にはまりやすいのだ。新規性が高いということは誰も知らない思いつかない情報であり、今までの常識を逸脱しているということだ。そんな情報をどうやって信用すればいいのだろうか。
トリガー直接知財の場合はどの情報も新規性が高いものでしかありえなかった。つまりどの情報も同程度に信用がならなかったのだ。それを信用するためには発信者そのものを信用するしかなかった。
もちろんノウハウ直接知財においても発信者を信用することでノウハウ直接知財そのものを信用することはできる。しかしノウハウ直接知財の場合はその論理性により発信者を信用できなくても情報の価値を信用することができた。そしてなまじこのように信用する手段があるばかりに、その手段で信用できない情報の信用度は大きく低下してしまうのだ。
誤解してほしくないのだが、ノウハウ直接知財を受信するにあたって信用醸成を省略するべきだと主張しているわけではない。価値の高い情報は信用醸成の罠にはまりやすいのは確かだが、価値の低いガセネタも信用醸成の手順で信用できないという烙印を押される。そして常識を覆すような価値の高い情報と、常識的にありえないガセネタを比べると後者のほうが断然流通量が多い。
重要なことは「おいしい話などあるわけがない」と心を閉ざしてしまわないことだ。「おいしい話」は世界中で日常的に作り出されている。今日の我々が享受しているこの文明社会は、そんな「おいしい話」が積み重なってできたものだからだ。「自分がおいしい話に出会うわけがない」というのも間違いだ。「おいしい話」は日常茶飯事とまではいかないが、まあまあ普通に存在するものだからだ。せめて「おいしい話を理解する能力は自分にはないから、他の人が評価してくれるまで待とう」くらいに心を開くようにするべきだろう。