共同体とノウハウ直接知財 その1

共同体内でのノウハウ直接知財の流通には二種類がある。すでに存在するノウハウ直接知財の取引と、ノウハウ直接知財の生産を依頼して生産されたものを取引するものだ。そして後者には生産を依頼したが結局生産に失敗して取引が成立しないものも含まれる。この場合、実際には実体のある情報は取引できないのだが、情報取引には受信者は事前に情報の内容が分からないという性質があり、ふたを開けてみたら何もないということもまた情報取引の範疇に含むことができる。
共同体は一枚岩ではない」が「共同体は信用醸成の罠の回避に役立つ」ことはすでに書いているのだが、もう一度簡単におさらいしておこう。


共同体は一枚岩ではない
ドーキンス博士的共同体では共同体の構成員は完全な自己犠牲を行って共同体の利益を向上させることができた。しかし現代社会の大部分を構成している株式会社的共同体ではパレート最適な形でしか共同体の利益を向上させることはできない。株式会社的共同体の構成員は個人的な効用の増大を目的として共同体に所属しているため、一時的な場合を除いて自身の効用を犠牲にしてまで共同体に貢献をすることはない。
ただしこれは完全なパレート最適を要求はしない。共同体の構成員はその共同体に所属することをあきらめた場合(転職など)の効用の期待値以下の効用しか得られない状況を許容しないというだけで、既得効用が少しでも減ることを許容できないというほどには頑なではない。
しかしあくまでも共同体の構成員は自立した個人であり、それぞれ効用の単独決算を行っている。彼らはできるだけ少ないコストで、できるだけ多くの利益を共同体から得たいと願っている。つまり共同体のためにトカゲの尻尾になることはもちろん、他の構成員が共同体に損害を与えることも許容しない。


共同体は信用醸成の罠の回避に役立つ
共同体の構成員は互いに多くの事象に関して繰り返しゲームを行っているために、すでに信用醸成が高められており、さらに繰り返しゲームが続くことを予期できるためにさらに信用醸成を高めることができる。
それ以外に「新しい価値」を共同体内部で試行することができるために、リスク・コストの回収が難しいという不安から解放される。また情報取引と効用発生のタイミングが違うことのリスクや取引無効のリスクからも大きく解放される。


共同体内でのノウハウ直接知財発信者
研究開発部門に所属する構成員だけがノウハウ直接知財の発信者でないことは強く認識しなければならない。人事課から確定申告のやり方を教えてもらうことや、営業マンがサービスマンに訪問先での作業内容を指示することや、社長が新しい業務フローを通達することなど共同体内では多くのノウハウ直接知財が飛び交っている。
そのうちの大部分は法令や経験、常識によって信用醸成が高められたノウハウ直接知財である。「なぜそれを行わなければならないのか(目的)」「それはどうやって効用を発揮するのか(因果関係)」といった情報の根源的な部分に受信者が疑問をはさむ必要がない情報だ。発信者もまた、受信者や共同体が情報の価値を理解していることを確信できるため、情報発信の対価をとりっぱぐれる不安から解放されている。
しかし、特に民間企業はこのような完璧な信用醸成が行われた情報だけを取り扱うわけにはいかない。彼らは常に競争にさらされ、新しい方法を開拓しなければ衰退するしかない。そのため共同体は常に構成員に「新しい価値」を生み出すノウハウ直接知財の生産を要求する。
この要求にさらされているのは研究開発部門の構成員だけではない。人事課員も営業マンも社長も、ありとあらゆる構成員は新しいノウハウ直接知財を発信することで共同体の利益に貢献しうる。


ノウハウ直接知財の生産依頼
トリガー直接知財も娯楽直接知財も外部に生産を依頼することはできる。しかしノウハウ直接知財はそれらよりも外部に生産を依頼しやすい。ノウハウ直接知財の論理性により事前にその効用を推定しやすいからだ。
直接知財の生産依頼は繰り返しゲームでの情報取引の一種だ。依頼内容はすなわち取引される情報の解読できない暗号である。その解読依頼を発信者に委託する行為だと言える。
これは発信者からの与信において有利な点と不利な点がある。有利な点は、確実に自分が需要している情報を注文することと、この生産をすでに信用醸成が行われている受信者に依頼することができることだ。発信者が独自に持ち込んでくる情報取引では、受信者がそれほど欲しいと思わない情報も多く含まれるため受信者にとって費用対効果が小さくなりがちだし、受信者が取引するべき内容を事前に取捨選択するコストも馬鹿にならない。運良く受信者が需要している情報の取引が持ちかけられたとしても、その発信者が受信者にとって信用できる主体であるかどうかは運次第になってしまう。すでに信用醸成が行われている発信者ならば信用醸成に関する追加コストは小さくなる。
しかし、この信用できる発信者が依頼された情報を生産できるかどうかは、やってみないとわからないという不利が必然的に発生する。もちろんすでに完成している情報であると持ち込まれた取引が結局ガセネタだったということもありうるのだが、このリスクは受信者の暗号解読能力が高ければ回避することができる。
そして受信者からの与信においても有利な点と不利な点がある。有利な点は発信者と同じく確実に需要がある情報を生産すればいいことと受信者との信用醸成が大きく省略できることだ。そしてもう一つ有利なことがある。取引の最初にするべき「解読できない暗号」を作らなくていいことだ。解読できない暗号は非常に作成が難しい。部分的に解読できなければならないが、完全に解読されては取引にならないからだ。しかしこの部分を受信者が行ってくれるために暗号作成コストを負担する必要がない。そして暗号が解読されてしまうリスクも負わなくてすむ。
不利な点は依頼された情報の作成に失敗したときに発信者の信用を傷つけてしまうリスクだ。発信者から受信者に情報取引を持ちかける場合には発信者はこの取引が成立すれば自分の信用を高める自信を持っている。自信がなければ取引を持ちかけなければいいだけのことだ。しかし受信者から依頼された場合は、完全な自信を持たないままに取引を開始しなければならない。たとえこの依頼が物理的に不可能なものであったとしても発信者の信用を傷つけるし、無理だと断っただけでも信用を傷つける。
依頼される情報が受信者の需要に完全に適合していることを裏返すと、依頼された情報を作成するための能力が発信者の能力と完全に適応していることを期待できないということになる。その分発信者は上記の信用失墜リスクを負うわけだ。また依頼される情報は受信者の想像力の範囲に納まってしまうため、発信者は自身の能力を最大限に発揮するチャンスを奪われてしまい、受信者はそうやって作成されたすばらしい情報を受信するチャンスを逃してしまうことになる。