共同体とノウハウ直接知財 その2



ノウハウ直接知財作成用の情報を収集する
受信者がどのようなノウハウ直接知財を欲しているかを知らなければ適切なノウハウ直接知財の生産は難しい。これを知らなければ基礎学問や抽象論、一般論としてのノウハウ直接知財しか作れない。しかしほとんどの場合は具体的、即戦力なノウハウ直接知財のほうが受信者にとって効用が高い。また、その具体論も受信者の受信能力に合わせたレベルのものでなければ効用が低くなる。難しすぎてもだめだし、単純すぎてもだめだ。そのために発信者は受信者から受信者の情報をトリガー直接知財として受信する必要がある。
多くの場合、これらの情報は企業秘密である。共同体の有する資産の詳細、その有利な部分、不利な部分、これらの占有間接知財は他者に知られないからこそ価値が出るものばかりだ。よほど信頼が置ける相手でなければ、そしてその情報を発信することで利益が上がると信じる場合でなければこのような情報は発信できるはずがない。
共同体の構成員ならばその共同体の持つ情報をすべて共有していると夢想するのはもちろん愚かなことである。それぞれの情報はその情報を知る権限のある者にしか知らされないし、時には発信しなければならないはずの情報を意図的に発信しない構成員もいるだろう。このあたりの情報をめぐる権力闘争に関しては「パワーシフト」(アルビン・トフラー著)が詳しい。
共同体からノウハウ直接知財の作成・発信を依頼された発信者は、この情報の獲得権利について共同体からお墨付きをもらっている状態にある。もちろんそれぞれの情報に関して発信能力・受信能力の限界のためにうまく収集できないことはあるだろう。しかしこれが共同体内の発信者にとって共同体外の発信者との競争力を飛躍的に高めることは言うまでもない。


共同体内の利得表
株式会社的共同体の構成員の発信者はタダで情報を発信したりはしない。情報作成・発信のコストはタダではないからだ。もしもこれらのコストがタダならば発信者は喜んで情報を発信するだろう。その情報によって共同体が利益を得るならば、その構成員である発信者も共同体から応分の利益を得るからだ。
しかしその応分の利益よりも情報作成・発信コストが大きいのならば、情報発信の対価を別口で受け取らない限り発信者の効用は低下してしまう。わざわざコストをかけて効用を低下させる間抜けには誰も進んでなりたいとは思わない。
発信者が共同体に要求する対価は金銭に限ったものではない。いや、発信者が対価を要求する相手は共同体に限ったものですらない。まず第一に個人的な満足が発信者の効用となるだろう。自分が作成したノウハウ直接知財が利益を上げるならば発信者の自尊心を満足させる。利益を上げても上げなくても、ノウハウ直接知財を利用した結果を知ることができれば、その結果を自分の知識にフィードバックさせて自分の能力を引き上げることもできる。また、自分の発案で他人が行動することに支配欲を満足させる人間もいる。
次に発信者は別に所属する共同体から利益を得ることもできる。研究部門の人間によく見られる傾向であるが、共同体にノウハウ直接知財を発信することで学会での自身の評価を引き上げるという利益を目指すことがある。この傾向は研究者に限ったことではなく、例えば転職を意識しているビジネスマンが転職市場での自分の価値を引き上げることもある。また環境問題に強い関心を抱いている人間がノウハウ直接知財を発信することで共同体の行動をコントロールしようとすることもよくある話だ。
発信者は共同体から金銭で報酬を得ることにはいくつかの障害がある。一番の障害は発信者以外の構成員が発信者に現金を渡すことを嫌がるからだ。共同体にとって現金は有限で、目に見えるもので、簡単に数えられる財産のため、これを発信者に渡すことは他の構成員にとっては共同体の財産が目減りする、つまりは自分に割り当てられる財産がはっきりと目減りすることになる。発信者に特別な報酬を渡すことはパレート最適ではないのだ。
発信者は他の構成員に対して、情報発信によって共同体は利益を向上させており、向上した利益の一部分を報酬として受け取るだけだからパレート最適であると主張するだろう。しかしこの主張を他の構成員に対して信用させようとする行為はすでに異なる主体同士の信用醸成を行う行為になっている。この場面においては共同体の信用醸成省略機能が働かなくなっている。
もちろん発信者はリスクとコストをかけて他の構成員と信用醸成を行い、情報発信の対価をあくまで現金で得ようと努力することも可能だ。しかし多くの場合はそれよりも、共同体の信用醸成省略機能を利用することのできる種類の報酬のほうを選ぶだろう。そのほうがリスクやコストを差し引いた現金報酬よりも高いと判断するからだ。


発信者への対価
現金以外で共同体が発信者に支払える報酬は三種類に分類できる。権力と権威と将来の現金だ。
支払われる権力は役職の上昇という文字通りの権力だけではない。発信者個人の行動の自由もまた権力である。別の構成員が発信者に対して行使していた権力の一部を発信者に移譲するというものだ。発信者はこの権力によって共同体内部で個人的な満足を得られるように行動することができるようになる。その行動でさらに情報を発信して対価を要求したり、自分自身の能力向上を果たしたり、他人を支配する欲望を満たしたりする。つまりは発信者が個人的に効用を得る権力を与えることで報酬に代えているのだ。
権威はもう少しあやふやなものだが、人は自分自身にある程度の権威を与えてやらないと幸せに生きることは難しいものだ。それは本当に個人的な満足である場合もあるだろうし、別に所属する共同体での権力向上に寄与させるという純粋に功利的なものである場合もある。役職の向上は、たとえ金銭的には変化がない場合でも自分や自分の家族の精神的な満足に繋がるだろう。
将来の現金は極めて妥協的な解決だ。株式会社的共同体は構成員に対して「無償の愛」という報酬を与えることはできないため、構成員は別の共同体においても通用する価値、つまりは現金を得ることを大きな目的に置いている。権力や権威だけでは生きていくことはできないのだ。しかし上述のように共同体は現金で情報の対価を支払うことに躊躇している。その妥協の結果が将来の現金なのだ。
将来の現金を約束したとしてもそれを反故にすることなどいともたやすいことだ。何度も書いていることだが情報取引においては取引の無効化を主張することで情報のタダ取りをすることが可能だからだ。たとえそういった約束違反を犯さなくても、発信者が共同体から脱退したり共同体自身が解散したりすれば、将来自体がなくなるから約束は無効になる。
また現実問題として、この将来の現金を約束する権力を持った人物は発信者よりも年長である場合が多い。権力者は発信者よりも先に共同体から脱退することになるだろう。そして脱退した後に共同体がどれだけ発信者に現金を支払おうが、その権力者にとっては痛くも痒くもない。つまりは後の世代に負債を押し付けているわけだ。もちろん後の世代も発信されたノウハウ直接知財によって恩恵を被るので、この負債の押し付け行為はそれほど悪徳な行為ではない。


情報の価値ほどには対価は支払われない
ここまで見るとはっきりしてくるのだが、受信者にとってノウハウ直接知財を共同体内から受信することと共同体外部から受信することには大きな違いが生じている。つまりは適切な報酬を支払わなくてもかまわないということだ。共同体内からの受信であれば受信者は必ずしも身銭を切らなくてもいいのだ。それに対して発信者は共同体内での取引に対しては信用醸成を省略できることと情報作成用の情報を収集しやすいこと以外にはメリットを感じない。どちらかといえば適切な支払いをごまかされやすいというデメリット(受信者のメリットの裏返し)があるぐらいだ。
しかしノウハウ直接知財は他の直接知財(トリガー直接知財・娯楽直接知財)に比べて共同体内での取引の割合が高い。これはそれだけ発信者にとって信用醸成の省略と共同体からの情報提供のメリットが大きいということを意味している。
信用醸成が足りないせいで自身の持っている価値の高い情報を発信できないという苦悩は発信者にとっては大きなデメリットだ。自身の持つ情報を換金できないというだけではない。発信者は上述した権威や権力という対価も受け取ることができないのだ。
また共同体からの情報提供は発信者の能力を大きく高める。発信者は一匹狼では成しえなかったノウハウ直接知財を生産することができ、それによって現金という対価はもちろん、権威や権力という対価をも手にすることができる。
多くの共同体内の発信者は、自分が発信する情報に対して適切な対価が支払われていないと感じているだろう。それは半分正解で半分は間違いである。正解の部分は、受信者が対価をごまかしたり、支払いを遅らせたりすることができることだ。そして間違いの部分は上述のように発信者は共同体内にいるからこそ価値の高い情報を作成できたのだということにある。共同体が発信者への付加能力の分の支払いを拒絶することは当然の権利なのだ。