病院の待ち時間を減らしてみよう

少し前に病院勤務医のNATROMさんを少し批判してしまいました。

NATROMさんはなぜ待ち時間が長いのかの説明はできましたが、待ち時間を減らすための具体的で効率的な提案はできませんでした。NATROMさんにマネージャーとしての視点が備わってなかったことが原因だと思います。しかしこれは建設現場の作業員に「ビルの建設日数をもっと短くする方法を考えろ」というようなものです。作業員は自分の仕事の範囲でしか回答を出すことはできないでしょう。この質問は現場監督や建設会社のホワイトカラーに問うべき種類のものなのです。ただしNATROMさんがこの質問に答える自分自身の能力を過信していた点には非があるでしょう。

批判だけして対案を出さないのもなんなので、ちょっと医療現場の改善方法を書いてみます。
僕は以前、医療関係の仕事をしたことがあるのでまるっきりの素人ではないのですが、医療に関する法律は詳しくはありません。そのため多少の絵空事も書いてしまうと思います。その場合には「法律や行政がこう変わるべきだ」という提言であると解釈してもらうとありがたいです。
またここでの患者は外来患者、つまり病院に歩いてやってくるだけの体力がある患者を想定しています。緊急事態(困ったことに病院ではしばしば発生する)においてはシステマティックに対応できないことはよく分かっています。しかしその分野までのシステムを考案しようとすると、アイデア料だけで数百万円の世界になってくるので深くは言及しません。


病院の待ち時間は長すぎる
「5時間待って5分の診察」
「どれだけ待てばいいのか分からないから待合室で待ち続けなければならない」
「待ち時間について文句を言ったらクレーマー扱いされた」
こういった不満の声は昔からよく聞こえており、21世紀の今も解消されていない。ただし僕はいたって健康な人間で患者として病院に行くことがないから、この不満の声に関しては単なる伝聞情報に過ぎない。実際は多少改善されているかもしれないし、悪化しているのかもしれない。だが不満を持っている人が多数いることは確実であり、それを改善するための(効果がありそうな)方法論がなかなか医療関係者の口から聞けないことも事実だ。
この待ち時間は外部不経済*1なので、患者がいかに長時間待たされて苦痛であろうとも病院側としてはどうでもいいことだ。しかし実際は待たされた患者は病院にクレームをつけるため、クレーム処理の担当者は胃が痛む思いをするし、クレーム担当者に給料を払っている病院経営者も憂鬱な気分になる。だから病院側としては少しのコストでクレーム処理コストが減らせるのならば、そのコストを支払うことはやぶさかではないはずだ。*2
外部不経済を患者に押し付けている病院が市場競争にさらされているならば、別の方向で病院は外部不経済を減らすためのインセンティブを与えられることになる。患者はより待ち時間が少ない病院に通うようになり、最初の病院には閑古鳥が鳴いて経営が苦しくなるからだ。


待ち時間は減らせないわけではないはずだ
こういった外部不経済削減のインセンティブのおかげで、今まで多くの業界が客の待ち時間を減らすことに成功してきた。病院とよく似た例としてはJRのみどりの窓口*3。乗客は目的地に早く到着したいから特急券を買うのに、窓口で長時間待たされるとしたら本末転倒である。その結果、私鉄や飛行機、自動車に客を取られて国鉄の赤字を拡大していた。JRになってから乗客サービスが見直され、ここでの待ち時間自体も大幅に短くなったし、インターネットなどを使えば窓口に並ぶ必要すらなくなっている。
コンビニもこの文脈で成功した業界だ。スーパーマーケットでレジに並ぶ時間や、商店街の個人商店をはしごする手間と比べれば、少々割高でもコンビニでさっさと買い物を済ませたいというニーズを汲み取っている。ファミレスのテーブルに置いているウェイトレスを呼ぶベルも外部不経済解消の効果を持っている。客はウェイトレスが近くを通りかかるまで待たされる必要がなくなったのだ。
路線バスの努力は感動的だ。20年以上前、僕が子供の頃はバスの時刻表なんてただの飾りでしかなかった。一時間に4本のバスが走っているはずのハス停で30分待たされることなど日常茶飯事だった。それが今は時刻どおりにバスがやってくる。雨の朝の通勤時間帯はさすがに厳しいものがあるが、それでも駅まで歩くよりもバスを待つほうが合理的だ。


待ち時間の責任者
逆に待ち時間が減らない業界の代表はもちろん病院であるが、他にも役所、銀行があげられる。どれも倒産から無縁な連中だ。しかし今は自治体も銀行も病院も倒産する。そろそろこれらの業界にも外部不経済解消のインセンティブが働いてもいいころだ。ぜひとも殿様商売を返上してもらいたい。
一応弁解しておくが、僕は医師本人を殿様商売しているとなじっているわけではない。どちらかというと(特に公立病院の)医師が労働基準法や人権の埒外に置かれているのではないかと思うほど劣悪な労働条件で頑張っているのを見ると頭が下がる。あんな苦労と道徳を押し付けられる仕事は、いくら高給がもらえようとも僕には絶対無理だ。病院の待ち時間が長いことは現場の医師の直接責任ではないと思っている。
この問題の責任を負うべきは第一に各病院の経営者であり、第二は無駄な規制を押し付けている厚生労働省その他の役人だ。第三はそんなサービス精神の足りない病院を利用する患者であり、第四は役人を監督するべき政治家で、第五は政治家を監督するべき我々有権者だ。しかしあまり責任範囲を広げすぎると、桶屋が儲かるのは風のせいみたいなとりとめのない話になってしまうので、第一第二の責任者にだけ話を絞っていきたい。国鉄だって経営者が民間に交代して、さまざまな規制が外されただけで劇的に変化したことを考えればこれでとりあえず十分なはずだ。
待ち時間が長いままで放置されている中間的な理由は、責任者が責任を感じていないことにある。窓口がどれだけ頑張ってもシステムが悪ければ待ち時間はたいして減るはずもないのに、窓口係でしかない医師が悪者であるとしているから効果は上がらないし、患者と医師の精神的な健康が一方的に害されるだけに終わってしまう。システムを運営する責任者が責任感をもってシステムを作り変えていかなければならない。


行列ができる病院
もう少し病院に視点を絞ってみよう。
一般的な方法論は非常に単純だ。トラブルが発生する理由の科学的原因を調べ、その原因を取り除いたり、回避したりすることである。トラブルの原因に直接立ち向かうのはばかげている。要塞化された丘に攻撃を仕掛けても損害が増えるだけだ。
まずなぜ待ち時間が長いかを考えてみよう。根本的な理由はたった二つだ。患者が多すぎることと処理速度が低すぎることだ。しかし処理速度は人道上の理由からこれ以上上げられない。ならば患者を減らすことを考えるのが普通だ。そういった文脈で厚生労働省は比較的待ち時間の短い町医者に患者を誘導しようとしている。
しかし僕はこの厚生労働省、ひいては医師や医療関係のジャーナリズムの常識を疑っている。なぜ町医者のほうが患者を大量処理できると考えられるのだろう?
経営学の常識では巨大な設備のほうが大量処理に向いている。作業を細分化し、細分化された流れ作業をそれぞれの専門家が黙々とこなしていくことがなによりも効率的なはずだ。20世紀初頭のフォードが開発したベルトコンベヤ方式少品種大量生産(フォーディズム)がこれの代表格だが、これは多品種少量生産が要求される現代でもこの根本原理は変化していない。仕事の流れを明確にして、必要な作業を細分化し、作業ごとに担当者を明確にすることが根本原理なのだ。そしてこれは専門分野を割り振れるだけの人数を有している組織が効率上有利であることを示している。
町医者では数人の従事者ですべての仕事をこなさなければならない。これはコンビニと同じだ。コンビニは便利だが、スーパーマーケットと販売量の競争をすると絶対に勝てない。それでもコンビニ業界が成長しているのは高い価格で商品を買ってくれる客が大量に来るからだ。しかし医療業界では、客が少なく、同じ公定価格で商売している町医者の方が病院の勤務医よりも所得が高いという逆転現象が起きている。
この矛盾を説明する理由は二つ考えられる。多くの業界で待ち時間を減らすことに成功してきた経営学の常識が間違っているか、医療に関してはコストやサービスの品質に特殊な慣行が存在するかだ。そして僕は後者を疑っている。


仮定その1 公定価格制度が悪い
病院は町医者よりも高度なサービス*4を高価なコストで患者に提供している。
同じ公定価格で高度なサービスを受けられることを期待して患者は待ち時間という外部不経済を許容してでも病院での受診を希望する。高度なサービスには高いコストがかかるために病院の勤務医は所得が低い。こういった市場の調節機能が働かない業種もミクロ経済学的な分析はできるのだが、面倒くさいからこれ以上はやめておこう。
公定価格のせいで市場システムが働かない以上、経営学の常識が通用しないのは当たり前だ。本来ならば高度なサービスを提供している病院での価格を高くすれば、低品質のサービスで十分な風邪の患者などは安い価格で受診できる町医者に流れていくだろう。厚生労働省もこういった論理で病院での初診料を高く設定している。しかし公定価格である以上、的確な効果が得られる可能性は低いだろう。
市場システムの話をするとすぐに「自由診療は悪だ」と反論が来るだろう。僕も国民皆保険制度が日本の平均寿命を大きく伸ばしているだろうことには同意する。そしてこの問題に深入りしすぎると、結局のところ壮大な人体実験*5をしなければ分からないという結論に到達することは目に見えている。なので国民皆保険を維持した上での医療保険制度の改革案だけを提示することにしよう。
一人当たり月間一万円までは自由診療とする。
一万円を越える額は自己負担一割とする。
負担額は二万円までとして、超過額はすべて保険で支払われることとする。

現代の日本は豊かな社会であり、国民は少々の医療費ならば自己負担できるはずだ。しかし重病にかかったら自己負担は無理になる。この無理な部分だけを保険でカバーすればいいのではないかと思う。もちろん月間二万円の負担すら不可能な人もいるだろう。しかしこれらの人たちは生活保護という別方向のナショナルミニマムで救済されるべきではないかと思う。


仮定その2 規模の経済を活かせていない
しかしそれでも病院のコストは高すぎると思う。いくらサービスが高度であるといっても規模の経済が働けばその分のコストを吸収してなおかつトータルコストを下げることができるはずだ。つまり病院では規模の経済が働くようにはシステムが構築されていないのではないかと考えているのだ。
大きな建物の中に町医者が同居してそれぞれが医療業務を行っている。これが日本の病院の現状だ。同居している医師が金を出し合って医師以外の従事者をやとったり、検査機器を共同購入しているような状態だ。この程度でも多少は規模の経済が働くのだが、高度なサービスに見合うほどの効果は期待できない。
医師の仕事も細分化して担当者に割り振るべきだ。残念ながら日本の医療制度においては、相当多くのことが医師しか行ってはいけないことになっている。注射などは看護師*6もできるが、カルテや処方箋を書いたりすることは医師しかしてはいけない。そして医師しかしてはならないことは結構多い。
診断をする。
治療方針を立てる。
治療を行う。
患者に状況を説明する。
記録を残す。

おおざっぱに見るとこのように分けられる。これ以外にもいろいろとあるのだろうが*7、僕もそんなに詳しいわけではないしここでは意味もないのでこれで全部ということにしておく。
日本の病院においてこれらは分業体制になっていない。基本的に一人の医師が診断をして治療方針を立てて治療を行い患者に説明し記録を残さなければならない。医師が自分の手に負えない病状だと判断したら次の医師に紹介し、結局のところ次の医師がこのシークエンスを最初から繰り返すことになる。分業になっているのはよほど特殊な作業(手術など)だけだ。
すべてを一人の医師が行う方法はそれなりに合理的だ。分業にすると診断情報を伝言ゲームせざるをえず、どこかで伝達ミスが起きる可能性がある。人の命がかかっている以上このミスは文字通り致命的だ。だがこの合理は前近代的な合理だ。
まず最初に人の命が懸かっていることを声高に主張することがおかしい。どんな職業でもそれなりに人の命が懸かっているものだ。バスの運転手などはいい例だが、彼らは人の命を乗せながらもきちんと時間通りにバスを運行させている。医師は一回のミスで一人の命しか奪うことはできないが、バスの運転手は下手をするとたった一瞬のミスで二桁の命を奪うこともある。
次に分業は製品の品質を上昇させる。TQC(総合品質管理)やOR(オペレーションズリサーチ)を学べばいくらでも事例が出てくるが、科学的に作業を分解してそれぞれの担当者が専念できるようにすると単純ミスは激減する。ミスが起きやすいところに重点的に人を配置したり、各人が覚えるべき内容が減ることで思い違いが減ることが主な理由だ。
最後に分業は仕事の効率を大幅に向上させる。仕事の効率が上がれば、当然待ち時間も減るし医師の肉体的負担も減る。ついでに言うと医療コストが下がることで国民の医療費負担も減るとしたいのだが、これに関しては前述の公定価格のせいで減らない可能性が高い。とりあえず医師の肉体的負担から来るミスを防ぐことは患者側からして歓迎するべきことだ。
 分業に反対する人の多くは「仕事の全体像が分からないまま仕事をすることは非人間的である」と主張する。しかし我々はこの複雑な社会の全体像を知らずに生きているように、仕事の全体像が分からないまま仕事をすることに耐えなければならない。だいたい医師はすでに非人間的な労働環境にいるわけだから、これが改善できるほうがよほど人間的だと思う。


ようやく本番の手前
医師が患者を処理する速度を上げることが問題の根本的な部分の解決につながるのだが、分業ができていない現状ではこれ以上は無理だ。つまりは分業をしろと言っているのだ。
医師は患者と面接すること以外の時間を持たないようにすること。それ以外の時間を費やしている作業は全部他人に任せてしまえばいい。他人とは人件費が安く済む従業員と患者本人だ。


診断の分業
診断に必要なものはデータと観察と問診だ。このうちのデータと問診は大幅に外部委託ができる。観察だけは医師以外の無資格者が行うべきではない。
データと問診は患者本人にさせればいい。受付で体温計と問診表とフローチャートを渡す。患者はフローチャートに従って自分で体温を測り、血圧と脈拍数も自分で勝手に測らせる。問診表もマークシートにしておいてコンピューター処理をできるようにする。当然バーコードで管理をする。
次にトリアージ医師がそれらのデータを見て追加の検査が必要かどうかを判断し、検査内容と診断担当医師を決定する。この内容に従って検査技師が採血したりレントゲンを撮ったりする。当然、トリアージ医師が判断した緊急対応が必要な患者は優先対応リストに載せたり、場合によってはそのまま緊急入院させる。
事前データをこれだけ集めておくと、実際に医師が診断に要する時間は一分以上短縮できる。特に追加検査を事前に行うことは大きなメリットだ。そして病院には町医者と違って検査室があるから、1時間程度でこれを行うことができる。


治療方針の決定と治療の分業
ここでは軽症患者を対象としているため、これに関しては分業をするメリットはない。診断と同時に治療方針もほぼ自動的に決定され、それを患者に伝えることで治療も終了する。処方箋を書いて、家で寝ていなさいというだけで終了だ。短時間しか要さない作業を分業化すると、呼び出しなどの手間の分だけ無駄な時間が増えてしまう。


患者への説明
インフォームドコンセントが本当に必要なのは重症患者だけだ。しかし医療がサービス業であること、ある程度の説明は患者の治療期間を短縮することを考えるとやはり欠かすことはできない。そしてこれは分業が可能だ。インフォームドコンセント担当の医師を用意し、それを望む患者だけがさらに待ち時間を費やしてこれを受ければいい。典型的な症状に関しての印刷物を渡すだけでも十分な効果がある。
診断をした医師は、その病院内だけで通じるコードを使ってインフォームドコンセント医師に説明内容を伝達すればいい。そのコードの記入と実際に説明に要する時間を比較すると一人当たり数分間の短縮になるだろう。なによりも診断担当医師の作業時間が計算できるものになるのがうれしい。


記録を残す
これも医師が行わなければならないことだが、無駄な時間だ。特に電子カルテの記入には結構な手間がかかる。座る向きを変えて、キーボード操作のために両手を空けて、画面を呼び出して、これらの操作を毎回行うことは大量の動作が必要である。キーボードは結構汚れているために衛生的な問題も起きる。
そこで提案したいのが電子カルテ記入医師の導入だ。診断医師はインフォームドコンセント医師への伝達と同様のコードで電子カルテ記入医師に記入内容を伝え、電子カルテ記入医師は病院の奥まった日の当たらない薄暗い部屋でしこしこと情報の入力を行い続けるのだ。


規模の経済
ここまで読むとトリアージ医師とインフォームドコンセント医師と電子カルテ記入医師の作業量が結構少ないことに気づくだろう。もしも一人の医師にこれだけのサポート要員を配置した場合は、分業した挙句に無駄飯食いを雇ってしまう結果になるだろう。しかし診断医師が4人程度ならばこれらのサポート医師を雇うことによって患者の処理効率を上げることができるだろう。この場合はト医師と電医師を一人の医師が兼任すればいい。このチーム構成で平均的な外来患者ならば町医者十人分くらいの数をこなせるはずだ。これこそが規模の経済だ。
またこのようにチームを組んだ場合、総合的な知識を要求されるのはト医師だけであることも分かる。診断医師は専門バカでかまわないし、イ医師は口が達者であればいい。電医師に関しては対人恐怖症の医師でも通用する。これは医師の時間外労働外努力の削減を達成させる。スキルや体力が必要とされない職種を用意することで高齢者やハンディキャップをもった医師を雇うこともできるし、楽な分だけ低賃金(それでも世間一般からしたら高賃金に分類されるだろう)で雇うことができる。


さらに規模を拡大
規模の経済と分業は医師にだけ働くものではない。病院内のいろいろな作業に適用が可能だ。待ち時間のクレームを言ってくる患者が多いのであれば、看護師が自分自身の作業の合間に対応するのではなく、クレーム処理の人間を新規に雇ったり、電光掲示板を導入することのほうが効率的になる。看護師の追加作業に要する人件費を考えれば安いものだ。
当該病院の待ち時間のシステムを説明するリーフレットを作成するという方法もあるだろう。これは患者が多ければリーフレットを作るコストが相対的に薄まることを期待しているだけではない。患者本人に病院内の作業の分担をしてもらうという考え方だ。「分からないことがあれば何でも聞いてください」ではなく「分からないことはとりあえず自分で調べてください」とするのだ。その上で分からないことがあれば担当者が対応すればいい。
 もっと極端に患者に作業を分担させてみよう。「風邪くらいで病院に来るな」という趣旨のリーフレットを作成して、風邪の患者に渡すことだ。それを読んだ患者は次からは(もしかしたら腹を立てて)風邪くらいでは医者にかかることをしないだろう。実際、わざわざ抵抗力が弱った体で病原菌がうようよしている病院の待合室に入り浸るなど自殺行為みたいなものだ。素直に最初から家で栄養をとって寝ているほうがより早い回復を期待できる。もっともこれをやりすぎるとその病院にとっては客が減って経営的にまずいことになる。そこで自治体や医療保険から補助金をせしめて実行できればうまくいく(かもしれない)。
複数の診断医師が外来患者を診ることでここに書いてあるようなだらだらと順番がずれていくようなことも防げる。一人しか医師がいない場合はこのような現象も起きるのだが、複数の医師がいるのならばそのうちの一人に緊急患者が来てルーチンが崩れても残りの医師で外来患者を診ればいいだけのことだ。
また10時になったら予約なしの患者は後回しにして予約済みの患者に切り替えるというのも杓子定規すぎる。予約なしの患者が来院したときに「9時50分くらいの予定です」と言ったのなら、そして9時40分の時点でその予定が実行できそうだったのなら10時5分くらいにずれ込んでも診察すればいい。その分の帳尻を合わせるために「10時50分くらいに診察できそうな予約なしの外来患者」には診察予定時間を1時間ずらせばいい。急に診察時間を1時間ずらすことが「優しさが足りない」のであって、予定時間の1時間前に「やっぱり2時間後になりました」なら患者側も予約がないからしかたがないと諦めがつくというものだ。もちろん本当に緊急の場合には軽症患者にまで優しさを与える必要はないが、日常ルーチンでは優しさをもって対応するべきだろう。


蛇足は休息と同じくらい人生に必要だ
ここまで挙げた内容の大部分はテーラーシステムや顧客満足という経営学の基礎から応用できる範囲だ。本格的にそして実効性を求めて業務フローの改善方法を企画するのならばこれくらいの勉強はしなければならない。
しかし多くの人にとって経営学の基礎知識を身につけることは無駄になるだろう。興味がなければ楽しい知識でもないし、その知識を活かして実利(要するに金)にできる人間の数は限られている。そんな無駄な知識を仕入れる暇があれば自分の現在の職業に活かせる知識を仕入れるほうがよっぽど楽しいし身銭になる。専門知識は専門家に任せていればいいのだ。それが分業というものだ。
しかしちょっと興味があるのならば、ちょっとの努力分くらいの知識を身につけることは楽しいことだし、人間の幅も広がる。僕もその楽しみのお役にたてたなら少しだけうれしい。
逆にさらなる興味を持っている人にとってはここに書かれている内容は説明不足過ぎると感じるだろう。でも勘弁してください。僕がこれを本格的に説明しようとすると一冊の本くらいの量になってしまうし、そこまでするならお金をもらわないと到底できません。でもでも、分からないことがあったらなんでも聞いてきてください。


蛇足の蛇足
ちょっと他人を批判しただけでこんなに長い文章を書くはめになってしまいました。なんというか批判することはとても責任が重い作業です。
批判することよりも批判されることのほうが好き。
これが今月の教訓でした。




追記
病院システム近代化計画シリーズでもっと詳しい解説をしています。

*1:不経済の原因を作っている主体とは別の主体が不経済の損失を被ること。

*2:待ち時間が短くならなくてもかまわないし、クレームが減らなくてもかまわない。クレーム処理にかかるコストが減少すればいいのだ。

*3:もちろん今でもどんくさい窓口係はいるが、平均値としてはかなり速くなっている。数年前に見た秋葉原駅の担当者は神業的な速度で切符の手配をこなしていて感動的ですらあった。

*4:病院はハードとソフトの両面で町医者よりも高度なサービスを提供している。
 ハード面はわかりやすい。病院では必要とあればすぐにレントゲンやCTを撮ったり、各種検体検査も自前である程度行うことができる。緊急入院も集中治療室もある。そしてこれらの設備の取得・維持には当然コストがかかる。
 ソフト面は医師およびその他従事者の医学知識が豊富なことだ。現代の医学は進歩しすぎて、一人の人間が習得できる知識量を遥かに凌駕している。それでも病院内部では各種勉強会を開いてそれぞれの専門家が病院内の従事者にその専門知識を伝達する努力をしている。当然これにもコストがかかる。町医者も最新の知識を習得するために努力を払っているが、どうしても病院内部でのそれには効率面で及ばない。

*5:例えば九州全土を医療保険対象外の地域にして国民皆保険制度のある本土と百年ほど対照実験してみれば国民皆保険制度が平均寿命に与えている影響を測定できるだろう。平均寿命が短くなった地域に住んでいる人からすると絶対に許容できない方法だが。

*6:この看護師という役職名に関しても僕は大きな不満を持っている。師という漢字を使えるのは医師と薬剤師だけでいい。看護士と表現するべきだ。言葉をインフレーションさせることは知性の敗北だ。婦が女性にしか使えないのは分かるが、士だと男性にしか使えないなどというのは弁護士などの例を見れば分かるように単なる屁理屈である。

*7:病院の院長は医師しかなれなかったはず。もしかしたらこれは法律が変更されてるかも。